
まだまだ笑顔は初々しい。助っ人としては小柄だった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月19日だ。
バリバリの現役メジャーとして騒がれて来日し、鮮烈な活躍をする外国人選手もいることはいるが、大抵尻切れトンボとなる。
理由はいくつもあるが、一つには実力者ほど日本球界を“ナメて”しまうことがある。
最初は、スイングスピードのすさまじさもあって、“ノーカン”でもガンガン打ちまくるが、欠点を徹底して攻められたり、勝負を避けられまくると、徐々に焦りが生まれ、ボール球に手を出して凡打を繰り返し、フォームやメンタルのバランスを崩し、調子も上がらなくなる。
そうではなく、日本の文化、野球を受け入れる“柔軟性”があるタイプのほうが活躍できる、というのは1つ定説のようにはなっている。
そういう意味では、日本球界の8年で1275安打を放った
ロバート・ローズは例外的な選手と言えるのか知れない。
この男は8年の滞在ながら日本語を覚えようとも、日本文化に馴染もうともしなかった。
今回はローズ1年目の話だ。93年、横浜に入団。同時期に入団したブラッグスのほうが、メジャーの実績は遥かに勝り、ローズの評価はさほど高くなかった。
それは自身も分かっており、来日時の会見では「試合に出るためにはキャッチャーだってやる」と話したほどだ。
この男が開幕から打ちまくり、セカンドの名手と言われた
高木豊をサードに追いやってしまったのだから面白い。
圧巻だったのが6月19日の
広島戦(秋田)だった。1打席目でバックスクリーン右、2打席目でレフトスタンド、3打席目は左中間場外へ。5打数5安打5打点だ。
「3本目は出そうな予感があった。よかったね」とローズ。
翌日も敗れはしたが、一時は逆転となる12号3ラン。47打点でリーグ打点トップにも躍り出た。
同年打点王にも輝いている。日本文化にはなじまなかったが、日本野球にはなじんだ男は、ここからさらに成長していく。
写真=BBM、