80年を超えるプロ野球の歴史は、それぞれの球団、それぞれの監督や選手たちが紡いできたものだ。1人1チームを原則に、名将、名選手たちが時空を超えて集結。オールタイムの“優勝チーム”を探してみよう。 歴代の背番号1が4人
1970年にヤクルトアトムズとなり、74年には初代ニックネームが復活してヤクルトスワローズに。国鉄時代から低迷が続くチームが初優勝、日本一に輝いたのが78年だ。
90年代は
野村克也監督の“ID野球”で黄金時代に。21世紀で初の日本一チームとなり、2015年にもリーグ優勝。現在の東京ヤクルトスワローズとなったのは06年からだ。
ここでは70年から現在までのヤクルト時代からベストオーダーを選出してみたい。
【ベストオーダー】
監督・
広岡達朗 一(二)山田哲人
二(中)
青木宣親 三(左)
若松勉 四(右)
バレンティン 五(一)
広沢克己 六(遊)
池山隆寛 七(捕)
古田敦也 八(三)
宮本慎也 九(投)
松岡弘 ミスター・スワローズの象徴でもある背番号1を着けた歴代の好打者がズラリと並ぶ。リードオフマンは現役の背番号1で二塁手の山田哲人。“先代”の背番号1で、18年にメジャーから復帰して通算4000打数に到達、通算打率で歴代1位に躍り出た青木宣親が若手時代の二番で続く。
三番は若松勉。背番号1を“ミスター・スワローズ”のナンバーとした“小さな大打者”で、01年の日本一監督でもある。四番は13年にシーズン本塁打のプロ野球記録を更新してMVPとなったバレンティン。青木が現在の中堅、若松が若手時代と現役後半の左翼、バレンティンが13年までの右翼に入り、強打の外野陣を形成する。
以降はID野球を知る強打者たち。五番、六番は広沢克己、池山隆寛の長距離砲コンビで、“申し子”古田敦也が捕手としてセ・リーグ初の首位打者となった91年に多かった七番に。若手時代の八番に入り、背番号1の
岩村明憲を控えに追いやったのが宮本慎也だ。チームへの貢献度では歴代の背番号1にも負けていない。実際には池山を三塁に追いやったが、ここではゴールデン・グラブを経験した遊撃に池山が残る。
本塁を古田が死守し、“イケトラ”の間に現役の山田、ホットコーナーに屈指の功労者がいる内野陣。打線でNPBの他チームに所属したのは広沢だけで、ヤクルトひと筋の好打者ばかりなのも心強い。
同じくヤクルトひと筋で、岩村と同様に泣く泣く控えに回った三塁手が
角富士夫だ。あえて控えに温存したのが92年の日本シリーズで代打サヨナラ満塁本塁打を放った
杉浦享(亨)。左右の強打者が代打の切り札として出番を待つ。外野手では黄金時代の
荒井幸雄、
飯田哲也、
秦真司ら、助っ人ではホーナーやハウエルもいて、層の厚さは十分だ。
ヤクルトひと筋の“捕手三本柱”も
ヤクルト・古田敦也
初の日本一に導いた松岡弘がエース。通算勝利で松岡に続くのが現役の
石川雅規だ。この左右両輪に、他チームやメジャーに去ったが、黄金時代の
石井一久、
川崎憲次郎ら左右のスターターが加わる。
対照的に低迷期を支え続けた
尾花高夫も忘れがたい存在。スターターはスローボールの“本格派”
安田猛や、短い期間で強烈な輝きを放った
岡林洋一と
伊藤智仁ら多彩で、クローザーには
高津臣吾がいる。司令塔ではヤクルトひと筋の
大矢明彦や
八重樫幸雄もいて、バッテリーは盤石だ。
優勝回数では野村監督がダントツだが、ここでは南海の主砲。率いるのは初の栄光に導いた広岡達朗監督だ。“管理野球”と“ID野球”のマッチングで王座を狙っていく。
写真=BBM