80年を超えるプロ野球の歴史は、それぞれの球団、それぞれの監督や選手たちが紡いできたものだ。1人1チームを原則に、名将、名選手たちが時空を超えて集結。オールタイムの“優勝チーム”を探してみよう。 東京から北海道へ
長く親しまれた“フライヤーズ”から一新、日本ハムファイターズとなったのが1974年。
巨人と後楽園球場に“同居”した状態のまま、81年に日本ハムとなって初優勝、巨人と同じ球場で日本シリーズを繰り広げる。
東京ドームとなっても“同居”は続いたが、2004年に札幌ドームへ移転、現在の北海道日本ハムファイターズとなって北の大地で再出発。移転3年目の06年に優勝、初の日本一に輝くと、翌07年にリーグ連覇。その後も間を置かず頂点に立ち、16年には2度目の日本一となった。ここではファイターズ時代からベストオーダーを選出してみたい。
【ベストオーダー】
監督・
大沢啓二 一(二)
田中賢介 二(三)
小笠原道大 三(一)
柏原純一 四(左)
中田翔 五(指)大谷翔平
六(中)SHINJO
七(右)
稲葉篤紀 八(捕)
高橋信二 九(遊)
田中幸雄 投手
ダルビッシュ有 メンバーは北海道移転後のV戦士が中心。ただ、外野手の
糸井嘉男や三塁手の
小谷野栄一に投手で12年MVPの
吉川光夫、
増井浩俊らは他チームの現役選手でもあり、その穴を20世紀の名選手が埋める形だ。
柏原純一の四番・一塁は現在の中田翔と完全に重なる。ここでは柏原の打順を日本ハム時代の前半に務めた三番に、中田を若手時代の左翼へコンバート。三番が多かった右翼の稲葉篤紀は、やはり移籍1年目に経験のある七番へ。一塁手や三番打者のイメージがある小笠原道大は2000年代前半に多かった三塁に。打順は若手時代の“恐怖の二番打者”だ。
その前を打つリードオフマンは09年、12年の一番打者だった田中賢介。五番からは16年MVPの大谷翔平、06年に日本一を呼び込んだSHINJO(
新庄剛志)が並ぶ。八番には連覇の司令塔だった高橋信二だ。
締めくくるのは “ミスター・ファイターズ”田中幸雄で、日本ハムひと筋で通算2000安打に到達した唯一の選手。プロ野球3人目の全打順本塁打を達成し、守備も外野に三塁、一塁もこなす。田中の打順や守備位置を動かして、同様に日本ハムひと筋だった
金子誠が代わってもいい。
日本ハムでの優勝経験はないが、“ビッグバン打線”の中軸を担った三塁手の
片岡篤史も屈指の好打者。81年のV戦士では三塁手の
古屋英夫、遊撃手の
高代延博(慎也)、外野手の
島田誠らも記憶に残る名選手だ。クルーズ、
ソレイタの助っ人もインパクトがあった。助っ人では21世紀には四番打者として連覇に導いた
セギノールや、16年の本塁打王になった
レアードもいる。
北の大地に立つ“親分”

日本ハム・大沢啓二監督
エースはVイヤーの09年にMVPとなったダルビッシュ有。プロ1年目に先発投手タイトルを総ナメにした左腕の
木田勇もMVP経験者だ。
クローザーでは
江夏豊が81年のMVP。スターターは20世紀に
工藤幹夫や
柴田保光、
西崎幸広に
武田一浩、21世紀には
武田勝ら多彩で、リリーバーでは
武田久、
MICHEALらの活躍が記憶に新しい。“二刀流”大谷も投手として計算すれば、控えに回った好打者たちの出番も増えてきそうだ。
優勝監督は4人。日本一に導いたのは
ヒルマン監督と現在の
栗山英樹監督だが、ここではチームの功労者でもある“親分”大沢啓二監督に、この若いメンバーを託したい。北の新天地で「あっぱれ!」炸裂なるか。
写真=BBM