
95年ヤクルト時代の勝利ゲームの後、野村監督と宮本・中央
自著『
野村克也からの手紙』(小社刊)の表紙を見ながらいつものようにボヤく。
「こんな本、売れるのか」
「これが
長嶋茂雄からの手紙だったら、もっと売れるんじゃないか」
「俺は人気ないからな」
都内書店でのサイン本お渡し会前、控室での言葉だ。嫌味を言っているわけではない。周囲が自分に気をつかって、なかなか話しかけられないのを分かって、沈黙にならないよう気をつかっての言葉だった。
一言、ぼそりと言った後、少し間を空けて笑顔を見せるのだが、それがなんとも言えずチャーミング。ヤクルトや
阪神監督時代とは、まったく違う。当時は、しばしば記者たちと冷戦になり、言葉が刺々しくなった。
6月29日で83歳になった。会が7月3日だったので、「おめでとうございます」と言葉をかけられたとき、「そんな昔のこと知らん」と言った後、「ただ、俺は長嶋には勝ちたいんだ」。
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督だ。これについて深くは説明しない。
本の第1章はヤクルト時代の教え子で現ヘッドコーチ、
宮本慎也コーチへの手紙だ。現役時代、守備は一流ながら、打撃では非力さが目立った宮本に、監督(以下、この呼び方で)は、
「わき役の一流を目指せ。バント、ヒットエンドラン、進塁打……。それを自在にできるバッターになって1億円を稼ぐんだ」
と言った。若手時代の宮本は、“守るだけ”の自衛隊とも言われたが、以後、監督の言葉どおり、犠打、つなぎに活路を見出し、結果的には2000安打も達成している。
また、指導者の道を進む今の宮本に対しては、
「処世術が下手なところが自分に似ている」と言いながら、だからこそ「将来は監督に」と期待も寄せている。
章の最後、悪いことははっきり悪いと言い、時に敵を作ってしまうタイプと宮本を心配し、こんな言葉を贈っている。
「野球も人生も状況判断」
写真=BBM