いよいよ第100回の大きな節目を迎える夏の甲子園。その歴史にこそ届かないが、80年を超えるプロ野球を彩ってきた選手たちによる出身地別のドリームチームを編成してみた。優勝旗が翻るのは、どの都道府県か……? 打線に目立つ鷹の現役選手
温泉の数は全国屈指。“おんせん県”こと大分県には、古くは温泉療養に訪れるプロ野球選手も多かった。九州では1950年代に西鉄が、近年はダイエーからソフトバンクへと移り変わったホークスが黄金時代を築いたが、西鉄黄金時代のバッテリーは、ともに大分県出身だ。打線にはソフトバンクの現役選手が目立つ。九州は福岡に築かれた黄金時代は、実は大分の黄金時代なのではないか……。そんな錯覚すら起こしそうだ。
【大分ドリームチーム】
一(遊)
野村謙二郎(
広島)
二(一)今宮健太(ソフトバンク)★
三(中)
内川聖一(ソフトバンク)★
四(三)
大島康徳(
中日ほか)
五(右)
葛城隆雄(大毎ほか)
六(左)
大田卓司(
西武)
七(二)
岡崎郁(
巨人)
八(捕)
和田博実(西鉄)
九(投)
稲尾和久(西鉄)
(★は現役)
大分県の出身選手で最高峰は稲尾和久だろう。西鉄3連覇の立役者で、61年にはプロ野球記録の42勝。中学時代は捕手だった稲尾があこがれていたのが和田博実(博美)だ。“神様、仏様、稲尾様”と言われた稲尾だが、きっかけは1958年の巨人との日本シリーズ、第5戦で完璧なリリーフの末に自らサヨナラ本塁打を放ってからという。和田も68年にサイクル安打を達成していて、ともに八、九番に並ぶが、打線の穴にもならなそうだ。
投手では、別府緑丘高で稲尾の先輩でもあり、稲尾の前に西鉄のエースとして初優勝に貢献した
河村英文(久文)、捕手では現役の
甲斐拓也(ソフトバンク)もいる。そのソフトバンクの中心選手でもある内川聖一が三番打者。その前を打つ今宮健太もソフトバンクの現役選手で遊撃守備の名手だが、ここでは泣く泣く若手時代に経験のある一塁に、一塁を守る内川も横浜時代に経験した中堅に“玉突き”となった。
遊撃の座を譲らなかったのが今宮の前を打つリードオフマンの野村謙二郎。一塁や三塁、外野をこなした四番の大島康徳が、ここでは三塁に。遊撃手として頭角を現し、二塁や三塁も守った岡崎郁が二塁に入った。打順は“恐怖の七番打者”と呼ばれた80年代後半と同じ七番だ。
内野の控えには、同様に内野ならどこでもこなした
阿南準郎(潤一。広島)、現役の
脇谷亮太(巨人)もいる。
稲尾を筆頭に充実の投手陣

西鉄・稲尾和久
五番の葛城隆雄は大毎“ミサイル打線”の五番打者。稲尾は葛城を苦手としていて、打席に葛城が入ると“ワンポイント”で一塁に就いたこともあったほどだった。
続く六番は稲尾の現役ラストイヤーに入団し、稲尾監督の指揮を受け、のちに西武黄金時代を支えた“必殺仕事人”大田卓司だ。打撃は申し分ないが、守備が苦手だった葛城と、指名打者の印象が強い大田、そして中堅の経験が少ない内川の外野陣の守備には不安が残る。勝負強い葛城と大田のどちらかを代打の切り札に温存して、09年に首位打者となった
鉄平(土谷鉄平。
楽天ほか)を先発に並べて守備の不安を解消してもいい。
だが、投手陣の層も厚く、多少の守備の乱れなら問題にならなそうだ。スターターではサイドスローの
高橋直樹(
日本ハムほか)や98年に最多勝の
川崎憲次郎(
ヤクルトほか)、02年に最優秀防御率の
金田政彦(
オリックスほか)に現役の
山口俊(巨人)が続く。先発でも救援でも計算できる
吉田豊彦(ダイエー)と
安藤優也(
阪神)の左右もいる。
稲尾と左右両輪となるのが“火の玉投手”
荒巻淳(毎日)で、2リーグ制の初代王者を支えた左腕エースだ。
写真=BBM