針の穴を通すコントロール

下半身の使い方が特徴的だったフォーム
俺がカープに入ったのは1981年だけど、当時の若手の筆頭格と言えば、投手が
北別府学さん、野手が
高橋慶彦さん。2人とも、まだ三篠寮にいて、2人だけが1人部屋で、ほかは2人部屋だった。
北別府さんは1976年、都城農高からカープに入って、そのときはもう、先発ローテでバリバリに投げていた。俺は、すごくかわいがってもらって、食事に連れていってもらったり、ピッチングのアドバイスもいろいろともらった。
2年目のオフだったと思うけど、一度、実家に泊めてもらったこともある。
古い家だったけど、ムチャクチャ大きくてびっくりした。トイレが外にあって、夜は真っ暗だった。その地域には、北別府さんだけじゃなく、西別府さん、東別府さん、南別府さんもいると聞いたけど、ほんとだったのかな。
トンナンシャーペイ(東西南北)で、麻雀したら楽しそうだけどね。
北別府さんは、球速自体は大したことはない。たぶん135キロから140キロの間くらいだったと思う。けど、ストレートも変化球も制球力が信じられないほどいいんだ。
シュート、スライダーを使いながら横で攻める人で、俺はストレート、カーブ、チェンジアップとタテに使うタイプだったから、まったく違っていた。
ピッチングフォームは、上半身にはあまり力を入れず、結構、早めに上体が打者のほうを向くんだけど、下半身は逆に後ろにひねる。それで上体を安定させていたんだと思う。
その力感のないフォームから捕手のミットにピシャ、ピシャと確実に投げる。ほとんどミットが動かないからすごい。冗談じゃなく、ほんと1、2センチの誤差で投げていた。
よく針の穴を通すコントロールと言うけど、北別府さんは、まさにそれだった。
ヒジから先が柔らかい。リリースの強さがなく、すっと、しなやかに投げる。18.44の距離で、135キロのキャッチボールをしている投手と言えば、イメージしやすいかな。
昔、『
巨人の星』で、星
飛雄馬が荒れた海の船の上でピッチングをしながら魔球を身につけようとする回があったけど、北別府さんなら船の上でも数ミリの誤差もなかったと思うよ。
打者が圧倒されるようなすごい球があるわけじゃないけど、とにかく失投がないから攻略がすごく難しいピッチャーだった。
天敵は落合博満さん
でも、そんな北別府さんにも天敵がいた。
中日時代の
落合博満さん。北別府さんは中日戦を得意にしてたけど、落合さんにはだけにはカモにされていた。
「お前の球はどこに行くか分からなかったけど、北別府の球は待っていれば、必ず来るからな」
そう落合さんが言っていたことがある。内のシュートか外のスライダーに網を張って待っていたんだろうね。
でも、投手というのは、内を意識させて外を遠く見せたり、その逆だったりが勝負手でもある。要するに、落合さんには見せ球が通用しなかった、ということ。怖いバッターだよね。
落合さんはバットの芯に当て、ボールをバットに乗せるのがうまい人だった。バットの芯って、実際は数センチ。すごく狭い。
だから北別府さんと落合さんの対戦を見て思ったのは、この2人は何センチ、何ミリの戦いをしてるんだな、ということ。
まさに投球名人と打撃名人の戦いだったね。
写真=BBM