
古田(右)の一発は通算1500安打でもあった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月11日だ。
2000年、欲しがり病と揶揄されながらも大補強を続けてきた
巨人が、圧巻の豪華戦力で優勝、さらに日本一に輝いたとき、このまましばらくは黄金時代が続くのだろうと思った人は多かったはずだ。
しかし野球は甘くない。翌01年、ラストイヤーだった
長嶋茂雄監督に花道を飾らせず、巨人を凌ぎ、優勝、日本一となったのは、
若松勉監督率いる
ヤクルトだった。
伏兵的存在ではあったが、打率.274、防御率3.41は、いずれもリーグトップ。巨人が上回るのはホームラン数くらいだった。
捕手・
古田敦也を軸にバランスのとれた好チーム。対して巨人は、自慢の打線はまずまずながら投壊状態で勝ちきれなかった。
7月11日は、燕打線がシーズン2度目の3連発で7対1とライバル巨人に快勝し、「隠れ首位」から堂々単独首位となった日だ(東京ドーム。この年は勝利数で優勝決定。試合数が少なかったヤクルトは、これ以前から勝率ではトップだったので、「隠れ首位」と言われていた)。
試合を決めたのは、初回だ。1回表、ヤクルトは巨人エース、
上原浩治から一死一塁で、まず三番の
稲葉篤紀が17号2ラン、続く四番の
ペタジーニが右中間看板直撃の26号ソロ、とどめは五番・古田敦也の右越え10号ソロだ。これは通算1500安打のメモリアルアーチでもあった。
「振り切った分、届いた」と稲葉。ペタジーニは「稲葉や古田には負けないようにしたいからね」。そして古田は「前の2人? 別に意識しないよ」。
ヤクルトは5月15日の
広島戦(神宮)でも3連発があった。そのときは五番・古田、六番・
岩村明憲、七番・
ラミレス。考えてみれば、さらにつなぎの
宮本慎也もいた。
この燕打線、なかなか手強い。
写真=BBM、