1992年7月17日、東京ドームで行われたジュニアオールスターで代打決勝アーチを放って、MVPに輝いたのがオリックスの鈴木一朗(のちのイチロー)だった。この年、ルーキーだった鈴木。週刊ベースボールで当時、MVP獲得後に直撃したインタビューをお届けする。 「『50万は田口さんに』って言ったんですけど……」

オリックス・イチロー
──8回表に代打のときはピッチャーが
有働克也(大洋)。どのような気持ちで打席に?
「とりあえず塁に出ようと考えていました。僕は内野安打が多いので、三遊間に転がしたいと思っていました」
──それがなんとホームラン。打てそうだなと思っていたんですか。
「いいえ。相手は一軍の投手ですから。でも、名前が知られた投手だったんで、有働さんや
石井一久君
ヤクルト)とは、ぜひ勝負したいと思っていたんです」
──オリックス勢では
田口壮選手だけ賞をもらえなかった。田口選手とはよく話をするそうですね。
「試合前、どっちがMVPでも100万円は山分けするという約束だったんです。それで『50万は田口さんに』って言ったんですけど……」
──田口選手はなんて。
「『いらんわ』って(笑)」
──翌日の新聞では、すごく大きく写真や記事が載っていましたよね。
「電車の中で、横にいる人がその新聞を読んでいるのを見て、なんか変な感じでした。照れくさいですね(笑)。全国版の新聞に載ったのは初めてでしたし……」
──プロ野球の選手になりたいと思ったのは。
「小学3年くらいかな。
中日の
小松辰雄さんや
巨人の
篠塚和典さんにあこがれてました」
──愛工大名電高時代には130個以上も盗塁を記録したそうですね。
「足が特別速いわけではなくて、ずるいんですよ(笑)」
──どういう意味で。
「口ではうまく言い表せないんですが、投手の“雰囲気”をつかむのが得意なんです。ジュニアオールスターのときも、相手バッテリーが無警戒だなって分かりましたから(9回表に二盗)」
──三盗にもトライしましたが、バッターがファウル。
「本当はあの三盗を決めたかったんです。僕は三盗のほうが得意なんですよ。二盗塁のような際どいセーフにはならずに、スライディングしなくても悠々セーフになる、びっくりするような盗塁が決まるから面白いんです」
──そのとき塁に出たのはクリーンなセンター前でした。
「あんなの珍しいんです。もっとボテボテの汚い内野安打ばかりなのに」
「いつもイメージトレは欠かしません」
──チームの練習メニューとは別に、必ずやっていることは何かありますか。
「イメージトレーニングですね。これはもうふだん歯を磨いているときなんかでもやっています」
──いつも野球のことで頭がいっぱいなんですね。
「ええ、こういう球が来たら、こういうふうに打って……と、いい感じを頭に描くようにしています」
──6月に一軍を経験しましたが、ベテランがずらりと並び落ち着かないんじゃないですか。
「最初にあいさつに行ったときはさすがに緊張しました」
──みんなは声をかけてくれましたか。
「ええ、頑張れって言ってくれます。最初に顔を合わせたのは、なんと
松永浩美さんでした」
──なにかアドバイスは。
「口をきいてもらうことなんかないですよ。あれだけの方ですから。なかなか僕なんかからは……」
──後半戦はどんな気持ちで試合に臨みますか。
「塁に出たら走る! という気持ちでいたいですね。数字的な目標はまだありませんが、とにかくチームの勝利に貢献できるよう頑張ります」
──では、最後に将来の夢を力強く。
「首位打者と盗塁王の2つのタイトルを取りたいです!」
写真=BBM