長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 コーチに適性を見抜かれて

ダイエー・ペドラザ
先日、
ロドニー・ペドラザがヤフオクドームに来場し、始球式を務めた。懐かしさを覚えたファンも多かっただろう。メジャー経験のなかったペドラザは1999年4月、ダイエー(現
ソフトバンク)に入団。不動の守護神として99年の日本一、2000年のリーグ連覇に貢献した。02年限りで
巨人に移籍したが、00、01年と2年連続で最優秀救援投手に輝き、外国人選手としては史上初の100セーブに到達するなど、ダイエー時代の4年間で117セーブを稼いだ。
「彼は、クローザーとして、横綱みたいなもの。そこまでの地位に上ったと思う」と当時の
王貞治監督も絶賛したが、実はペドラザは米マイナー時代に、一度もクローザー役は務めていない。たった一度の経験はテキサス大3年時だったという。しかし、ブルペンで投げ過ぎるなどペースがつかめず、クローザーの役割を務めることができなかった。
「あのときは、もうまっぴらゴメンだと思った。だから日本で、クローザーとして、こんなにやれるとは本当に信じられないことなんだ」と当時、ペドラザは語っていた。
ペドラザの適性を見抜いたのは
尾花高夫投手コーチだった。99年4月7日に入団が決まり、二軍で調整登板したペドラザの投球に目を引かれた。スピードこそMAX140キロ台で、日本人とそう変わらなかったが、外角低めへ、しっかりとストレートを投げられるコントロールの良さ。そして何より、球持ちが抜群。腕が遅れてくるから、打者がすべて詰まっていた。
球を受けた
城島健司とともに、王監督に進言して指揮官も承諾。ペドラザも「オレは投げるチャンスが欲しいから日本に来たんだ」とそれを受け入れた。そして、
篠原貴行、
吉田修司らとともに鉄壁のリリーフ陣を形成。ホークス黄金期への扉を開いた。
写真=BBM