
右腕に痛みを感じながらも完封勝利の槙原
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月20日だ。
1994年「10.8」の激闘を制し、優勝、日本一となった
長嶋茂雄監督率いる
巨人。翌95年は、
広沢克己、ハウエル、
川口和久、
阿波野秀幸ら空前の大型補強をしたが、打線の不振と
桑田真澄の故障離脱も響き、3位に終わった。
今回は、そのシーズン中の7月の出来事を追う。
7月16日、巨人は横浜に逆転負けを食らい、4連敗。長嶋監督は「守れんなあ」と一言残してロッカーへ。私服に着替え、再び報道陣の前に姿を現したが、「今日は勘弁してください」と一切質問を受け付けなかった。
この時点で首位
ヤクルトに8ゲーム差。指揮官のショックは計り知れないものがあった。
そんな指揮官のショックを和らげたのが先発陣だった。
第一歩はエースの
斎藤雅樹だ。18日の
阪神戦(甲子園)で今季5度目の完封勝利。長嶋監督の「今日は斎藤に尽きる」と絶賛した。
続く19日はゴールデンルーキー、
河原純一だ。同カードで二塁も踏ませぬ完ぺきな投球で自身も2試合連続完封勝利。巨人では、66年の
堀内恒夫以来となる新人の2試合連続完封勝利は、チームを勢いづかせるに十分な貴重な白星となった。
そして7月20日。「まさか完封するとはなあ」と長嶋監督を驚かせたのが
槙原寛己だった。その力はあるし、阪神との相性もよかったのだが、前回登板で右腕に激痛が走り、登録抹消さえウワサされていたからだ。自身も「完封できるとは夢にも思わなかった」と、こちらもびっくりしていた。
巨人の3試合連続完封は89年の桑田、斎藤、
宮本和知以来。日本記録の4試合連続完封がかかった22日の
中日戦(ナゴヤ)も川口が8回まで無失点に抑えたが、9回に1点を失い、9対1の大勝も大記録はならなかった。
写真=BBM