いよいよ100回目の夏の甲子園が始まる。『週刊ベースボール』では、オンライン用に戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を紹介していきたい。 ピンチで見せた強気の攻めが……

“小さな大投手”と呼ばれた磐城・田村隆寿
1971年8月16日
第53回=決勝
桐蔭学園(神奈川)1-0磐城(福島)
平均身長167センチという小柄なチームの磐城はキビキビしたプレーを身上に、優勝候補の日大一(東京)を初戦で破ると、旋風を起こして決勝まで進んだ。中でも165センチのエース・田村隆寿は伸びのあるストレートと強気な投球で3試合を完封、“小さな大投手”と呼ばれた。
対する桐蔭学園は創部6年目で激戦区・神奈川を勝ち上がって甲子園初出場。下手投げの主戦・大塚喜代美が浮き上がるようなストレートに加え、内外角に変化球を投げ分けて好投。準決勝で岡山東商(岡山)に逆転勝ちして勢いに乗っていた。
試合は磐城が初回、いきなり一番・先崎史雄の四球と盗塁、犠牲バントで一死三塁の先制機をつかむ。しかし、ここは大塚の冷静な投球にかわされた。その後も磐城は毎回のように走者を塁に送って有利に進めたが、あと一本が出ない。
田村に抑えられていた桐蔭学園は7回一死後、土屋恵三郎(のち同校監督)が右中間に三塁打。強攻策は三ゴロとなり二死。続く峰尾晃のカウント、1ボール2ストライク後の4球目だった。
「外角に外れるカーブを」という捕手のサインに首を振った田村は、「内角シュート」を要求。その球を峰尾が見事、左中間に弾き返す三塁打として均衡は破れた。田村にとって甲子園での34イニング目の初失点。強気の攻めは“運命の1球”となった。
磐城は9回、先頭の若尾佳生が中前打して出塁。最後の攻撃に期待をかけたが、大塚の巧みな投球に抑えられた。
桐蔭学園は初出場にして全国制覇。甲子園で全5試合を完投し、4完封、2失点の大塚は話した。
「甲子園に行くことが目標で、ここでの試合は“おまけ”みたいなもの」
この無欲が偉業につながった。
写真=BBM