一番最初に感じたことを大事にする考え方
今回は『もっとも危ない男 原辰徳監督』というテーマで書いてみよう。
大げさに言ってるわけじゃないよ。オレはコーチとして2011年から14年まで「監督・原」の部下になったけど、まさに大胆不敵というか、特にすごいと思ったのは、自分のチームを壊すことにまったく躊躇がなかったこと。なんでもありの監督だったね。
入団時から彼とは縁があった。
年齢は原さんが上だけど、いずれも1980年秋のドラフト会議で1位指名組。ただ、向こうは4球団競合、俺が原さんのはずれ1位だけどね。
しかも、いわゆる隠し玉ってヤツで、俺のことを知ってる
広島ファンは、ほとんどいなかった。ドラフトの後、広島中で「川口って誰?」になったらしい。
オレは14年目に巨人に移籍。原さんにとっては現役ラストイヤーだったけど、あのときのオレは自分のことに精いっぱいだったから正直、あまり記憶がない。
結局、俺は巨人で4年やって98年限りで引退。評論家になった。原さんは2002年に巨人監督になって2年でやめたけど、06年に復帰。
それで2011年、オレはなぜか原さんが監督の巨人へ投手コーチで呼ばれた。
そのとき思ったのは、「この男、むちゃくちゃ頑固だな」ということ。
原野球、いや父親の貢さんもミックスしての原家の野球がしっかりあって、それを絶対崩さなかった。
まず驚いたのは「初志貫徹」。要は一番最初に感じたことを大事にしようという考え方だね。
「迷ったら下手を打つ。一番最初に感じたことが一番正しいことが多いんだ」
でも、「失敗もあるでしょ」と言うと、
「最初に決めたことなら失敗しても尾を引かない」と。
あれもある、これもあるで迷うより、
「よし、これで行く!」と決めて全力でやったほうが、ダメでも「じゃあ、次はこっちにしよう」と切り替えられるというんだ。結構深いなと思った。
ただ、この男の考えについていけず、ベンチ裏で衝突したことは何度もある。
立場の違いもあるよね、コーチであるオレの役目は、いかにその選手のいいところを引き出すか。だけど、監督は違う。チームが勝つか負けるか。結果しかない。特に当時の巨人は強かったけど、逆に優勝を義務付けされているような雰囲気もあったからね。
「さすがだな」と思ったマシソンの起用法
だけど、ぶつかりながらも「さすがだな」と思ったことは何度もある。
マシソンが来たときもそう。オレは問題がたくさんありそうだけど、リリーフなら活躍できると思って、そう言った。
でも、原監督は「先発で使ってみようぜ」だった。
オレは「え……」と言葉に詰まった。でも、原さんの言葉を聞いて「なるほど」と思った。
「違うことをやらせたほうが本性が出るぞ」
確かにそうかもしれない。球数を投げさせたらセットが止まらないとか、球種が少ないとか必ず問題が出る。ただ、オレの発想は、それがリリーフなら見えにくいだろうというものだった。
しかし、原さんは違った……。
すごい、すごいけど、ただね、だよね。
要は、オレは原という監督のためにマシソンをどう使ったらいいか考えて提案したんだ。それを「本性を見たい」と言われてもね。
「あんたは負けてもいいのか!」って思った。
でも、そういう思い切りがほんとにできる監督だった。起用も思い切りがよかった。
坂本勇人が1打席目で見逃し三振をしたら、いきなり代えたこともあるし、ベテランの貢献者だろうが関係なく、実力主義を通した。
これって言葉にしたらカッコいいけど難しいことだよね。ファンがどう見るか、マスコミがどう書くか、外されたベテランがどう思うか……。人気球団だけにいろいろある。
でも原監督は恐れなかった。マジで、「この男はチームをぶち壊してしまうことをまったく恐れてないだろうな。危ねえヤツだな」と思ったことは何度もあるよ。オレが今まで仕えてきたり、評論家で見てきたりした監督さんとまったく違うからね。
結果もそうでしょ。リーグ3連覇2回だよ、ほんとすごいな。
たださ、俺みたいタイプが何を言うんだと思うかもしれないけど、見てると監督業の怖さとともに魅力も感じた。
だから正直に告白するけど、絶対オファーなんか来ないし、来ても断ると思うけど、オレ、コーチ時代に原さんを見ていて、何度か「オレも監督やってみたいな」と思ったことがある。
自分でもなぜかはっきりとは説明できないけど、要は、そういう魅力を持った監督だったんだ。原辰徳という男はね。
写真=BBM