今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 長嶋茂雄にとっては初の日本一
今回は『1963年11月18日号』。定価は10円上がって50円だ。
日本シリーズは4勝3敗で巨人が制した。
開幕前は巨人のストレート勝ちの声もあっただけに、まずは西鉄健闘と言えるかもしれない。
ムードが変わったのは、11月3日、巨人が3勝2敗で挑んだ平和台の第6戦だった。
試合前、球場が沸いたのは、西鉄の五番打者の名前を聞いた際だ。
「一塁・
中西太」
兼任監督中西がこのシリーズで初めてスタメンに入った。
中西は2、3打席目に連続タイムリー。「怪童が戻った」と球場が沸いた。投げては
稲尾和久が完封で2勝目。6対0の快勝だった。
ただ、翌日、稲尾は再びマウンドへ。今回は4回途中でKOされ、試合は巨人が18対4のワンサイドゲームで勝利した。
結果論だが、翌日に投げさせるプランがあったなら、第6戦は5点差となった5回あたりで稲尾を交代させたほうがよかったかもしれない。
第7戦のヒーローは巨人の2年目、
柴田勲。試合前、「きょうは絶対クリーンヒットを打ちたい」と話していたとおり、三塁打、本塁打、単打で6打点を挙げた。
「きょうのヒーローは僕のものだと公言していただけに、こうやって記者のみなさんに囲まれていると、いい気分だ」
稲尾は「きのうよかったからって、きょうもいいというはずはないさ。しかし疲れたなんて俺は言わん。そんなことは理由にならん。俺が打たれたんだ」と淡々。
中西監督は、あまりの大差からか、
「監督がへたくそなのに7戦までようやってくれた。ああ、終わってほっとしたよ」
と語っていた。
MVPは長嶋茂雄。長嶋にとって、これが初の日本一でもあった(これ、担当者の間違いでした。61年見事な日本一があります。ご指摘の方、ありがとうございます)。

前号の広告
1つの記事に写真2点使う方法を担当者が覚えたので、やってみた。この号ではなく、前号にあった広告ページだ。55年前のものだが、いまでも十分、通用するのではないか。
今後も時間に余裕あれば2枚使いに挑戦していきます。
では、またあした。
写真=BBM