今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 世紀のトレードはあっさりと
今回は『1964年1月6日号』。定価は10円上がって50円だ。
ついに第1回東京オリンピックイヤーの始まりだ。
ちょっと拍子抜けしたのは、前週号で決定濃厚とあった
阪神・
小山正明と大毎・
山内一弘のトレード。
この号では、すでに決定し、山内が阪神の帽子をかぶった写真が掲載されているが、特に会見の記事はない。
「世紀の大トレード」と言われ、うちも山内、小山同席の会見の写真が何枚もあるのだが……。
巨人が12球団で初めての「用具係」採用を決定した。移動の際の野球用具の運搬を主な仕事とするものだ。
これまでは選手各自が持ち、共有のボールなどは入団1、2年目の若手が運んでいた。
ただ単に選手の移動の負担を軽減するだけではない。
巨人の坂本報道係によれば、
「最近、選手の服装がすっきりしない。アロハシャツやジャンバーがほとんど。これではプロ選手の品位がない。かといって大きなバッグやバットを持っている選手に背広、ネクタイは強制できないでしょ。だから荷物は受け持つが、その代わりに選手をジャイアンツとしてのプライドを持った服装をしてもらいたいということです」
一方、60年入団の投手・
近藤隆正の退団でもめていた。
近藤は、これまで一軍ではわずか4試合の登板。なぜ天下の巨人が、この選手の退団でバタバタしたのかというと、近藤が事実上、ON専用の打撃投手だったからだ。
近藤は契約更改で「はじめから練習用投手のレッテルを貼られたら困る」と主張したが、球団からは「野球ができなくなっても面倒を見るから、打撃投手として頑張ってほしい」と言われたという。 近藤は、王貞治、長嶋茂雄の打撃好調の陰の功労者とも言われていた。
当時の球界に専門の打撃投手はおらず、若手が担当することが多かったが、巨人・
川上哲治監督は専門の打撃投手の必要性を感じ、近藤をその第1号にしたかったらしい。
ただ、近藤は、
「これは僕だけの問題ではないのです。今後も僕みたいな立場の投手ができるでしょうし、その人のためにもできるだけいい方向に持っていきたい」
とあくまで「選手」にこだわり、確約がもらえないなら退団し、故郷に戻ると言っていた。
前年にスタートした、高卒新人を100試合、大学卒・社会人出の新人は50試合、一軍のゲームに出場させず、研修期間にするという新制度は、1年で崩壊しそうだ。
すでにパでは全廃、セでは出場制限を1カ月に短縮する方向で話し合いが進んでいる。
また。大騒動となっていた関大・
西川克弘の
広島入りが決まり、西川家からの民事訴訟も取り下げられた。

ローマで遊ぶ四銃士
今回の2枚目。
エールフランスが優勝チームの監督とリーグMVPを招待する恒例の欧州旅行があった。
このときは本来、巨人・川上哲治監督、長嶋茂雄、西鉄・
中西太兼任監督、南海・
野村克也となるが、「お約束」で監督が辞退。巨人・王貞治、西鉄・
稲尾和久の参加となった。
これはローマのオリンピック会場前での1枚(左から王、稲尾、長嶋、野村)。背後に野球の捕手らしき銅像があるが、イタリアでなぜ?
木曜は無断欠勤失礼しました。
若干気持ちが折れてました。
年俸の10カ月払いの件はありがとうございます。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM