今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 金田、長嶋の真っすぐ勝負の陰で
今回は『1964年4月13日号』。定価は40円だ。
国鉄・
金田正一はつくづく自由な選手だ。
開幕戦の対
巨人に先発したのだが、前の日、巨人・
長嶋茂雄に
「あすは勝負する球を教える。それで勝負しよう!」と宣言した。
ただし一筋縄ではいかず、「教えてやったって、シゲがそれを信用するかどうかは分からん。一種の心理戦のようなもんや」とも語っている。
実際には第1打席だけだったらしいが、要は三振をかけた真っすぐ勝負をしたかったらしく、ワンボールの後、マウンドから長嶋に「次は2つカーブをほうるから見逃せ」と大声で言った。お客にもこれが聞こえ、大歓声。
実際、長嶋もそれを見送り、最後、速球勝負を球場のファンが固唾をのんで見守った。
高めの快速球に長嶋がフルスイングすると、打球はレフトへのホームラン性のファウル。その後、二塁打を放った。
これで「高めの球に威力がないとつくづく悟った」という金田は以後の打席では、宣言をしなかったようだ。
7回にはマメが破れ、降板。前号からの続きのようになるが、金田はこう語っている。
「これも人の悪口を言ったのがはね返ってきたんや。
尾崎君(行雄。東映投手)がマメをつくって、それがむけて投げられんという。ピッチャーがマメをつくるとは何事か。またそれがむけて投げられんちゅうのは、心がけが悪いからや、といわんでもいいことをいっていた。
それがこんどは、ワシにはねかえってきた。まさか皮がはがれるとは思っていなかった」
張本、これでも退場せず!
2枚目の写真は3月26日、西宮球場での阪急─東映戦からだ。
9回表、東映の
張本勲が三本間にはさまれた際、強引に本塁に突入し、捕手を突き飛ばしたところから阪急の
足立光宏、
スペンサーと張本が小競り合いになった。
その後、一度はベンチに引き揚げた張本だが、何かを言われたのかベンチからバントを持ってセカンドのスペンサーに詰め寄る。両軍選手が必死に止め、何事もなく終わったが、驚いたのは、この騒動で誰も退場にならなかったことだった。
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM