リリーフで再生した西村
2人の後輩から電話をもらった。しかも何日も空けずに……。
1人は西村健太朗だ。
「僕、引退します」
まったく知らなかったから
「えっ! なんでだ」って聞いたら、
「7月に肩が飛んでいったんです」
二軍戦で投球中に肩を脱臼したらしいね。そこから一生懸命リハビリをしたけど治らず、引退を決めたという。
俺は2011年から
巨人の投手コーチになったけど、10年の春に臨時コーチをしている。そのとき最初に「見てくれ」と言われたのが健太朗だった。
ストレートがシュート回転する傾向はあったが、コンスタントに147、8キロは出せるし、能力は高かった。
ただ、04年のドライチ入団から先発、リリーフを行ったり来たりで、どちらでも結果を出せず、明らかに行き詰っていた。
10年は先発としてスタートを切ろうとしていたが、俺は短いイニングのほうが彼の力が生きるんじゃないかと思った。それで11年は1年かけてリリーフ投手に必要なことを教えたんだ。
結局、12年から抑えに定着し、13年には球団記録の42セーブで最優秀救援投手になり、胴上げ投手になった。
健太朗に関して、最後まで手こずったのは技術じゃなく、チキンハートだ。
「真っすぐを真ん中に投げりゃいいんだよ」と何度も思ったし、実際、何度も強く言った。
いつも困ったような顔をして、か細い声で「はい」って答えていたけどね。
会話できるようになったのがうれしい
その2日後の夕方、今度は山口鉄也から電話がかかってきて「引退します」と。
これも「ええっ!」だった。
もう肩がダメになったと言っていた。
山口は06年に育成で巨人に入り、背番号102からはい上がってきた苦労人だけど、俺の第一印象は「こいつ、何を考えているのか分からんな」だった。
だって何を言っても「はい」としか言わなかったからね。自分の殻をつくって、そこからなかなか出てこようとしなかった。
健太朗と違って、ぐっさん(山口ね)は俺がコーチになったとき、すでにセットアッパーとして結果を出していた。
彼のすごさは、下半身の柔らかさと腰の切り替えしの速さ。足をだらっと上げてゆったりステップしていき、そこから腰をきゅっと一気に回す。体の正面が打者を向いても、まだ腕が出てこない。しかも、そこからさらに腕を鞭のように柔らかく使った。内角をスライダー系で鋭く突くこともでき、右打者もまったく苦にしなかった。
なんだろうね、同じチキンハートでも西村とはちょっと違う。弱気になるともろかったけど、どこかでスイッチが入って開き直れるタイプでもあった。
左の山口がいたから右の西村、
スコット・マシソンも生き、7回以降の鉄壁リリーフ陣「スコット鉄太朗」が構成できた。当時の巨人戦では、6回までにリードしないと勝てない、と相手チームのコーチからも言われていたからね。
俺も投手コーチとして3人には随分、助けてもらった。
実は、山口を抑えにしようとしたときがある。そしたら、
「いやいやいや、そこだけは勘弁してください!」って猛烈に拒否された。
俺は「リリーフ投手には、抑えが花だろ!」って強く言ったんだけど、
「いやいやいや、勘弁してください。できたら8回でお願いします」
と泣きそうな声で言った。
修羅場での登板はセットアッパーも抑えも同じような気がするが、山口は60試合投げ続けることに自分の存在価値、プライドを感じていたんだろうね。
少し悪いことをしたなと思ったのは、確か13年だと思うけど、東京ドームのマウンドの傾斜を変えたことがあるんだ。オーバースローが多かったから少し急にね。
そしたら山口が、
「川口さん、ちょっといいですか」とボソッと言ってきて、
「マウンド変えましたか? ちょっと投げにくいんですけど」って。
「いや、すまん。実は……」
こんなたわいもない会話を覚えているのは、うれしかったからなんだ。
健太朗もまったく同じなんだけど、シャイで「はい」しか言えなかった男が、俺を信頼してくれたのか、単に慣れただけかしらんけど、だんだん会話が成り立つようになった。自分から話しかけてくれるようになった。
山口は、12年が防御率0.84、13年が1.22。これがピークだった。その後も60試合以上を投げているけど、肩は間違いなく、おかしくなっていた……。
ひとつ、言い訳にもならんけど、書いておく。
俺は、山口を休ませたかった。でも、当時の監督が勝ち方にこだわったんだ。
たぶん。ぐっさんなら「休め!」と言っても、
「いやいやいや、勘弁してください」
と言っただろうけどね。
断っておくが、俺は別に「2人を俺が育てた」と言いたいわけじゃない。そこまでうぬぼれ屋じゃないよ。
引退会見前の電話にしても、俺だけにかけたわけじゃないと思う。ただ、あのシャイだった2人が律儀に連絡してくれたことがうれしくてね。
2人のチキンハートは、優しさでもある。
第2の人生では、きっとそれが長所になると思うよ。
本当にご苦労さまでした。いろいろありがとう。君たちと一緒に野球ができたことは俺の自慢だ。