
相棒のバットで現役最終打席でヒットを放った日本ハムの矢野
代打の切り札として、チームを支え続けた男がバットを置いた。
10月10日の
ロッテ戦(札幌ドーム)での日本ハム・
矢野謙次の引退試合。7回に最後も代打で登場。本拠地に詰めかけたファンの大歓声を浴びながら7球粘った末に唐川のストレートを痛烈な左前安打。一塁ベース上で満面の笑顔を見せた。
そんな「一振り」に懸けてきた男に、自身の相棒でもあるバットについて話を聞いたことがある。
巨人時代のプロ3年目からアシックス製を使い始め、その間にモデルチェンジをしたことは一度もなし。材質はアオダモ、重さも900~910グラムから変わることはなかった。
「このモデルから変えようと思ったことはないです。それこそ全然打てないシーズンでもね(苦笑)」
私も実際に持たせてもらったが、均整がとれた美しいバットだなっていうのが最初の印象だった。屋外球場での試合前には天日干しを行い、保管方法などにもこだわり抜いて常に相棒の状態に神経を注いできた。
そこまで惚れこむバットのベースとなったのは2人の大先輩のバットだった。
二岡智宏と
清水隆行。言わずと知れた巨人の一時代を築いた好打者だ。きっかけは入団1年目(2003年)のオープン戦で当時
ソフトバンクの
杉内俊哉のストレートにまったく対応できず、ヘッドに重心のあるバットから、もっと軽くてコンパクトに振り抜けるタイプに変えた。
試行錯誤しながらいろんな先輩のバットを持たせてもらい「これだ……」という感覚になったのが前述した2人のバットだったという。ベースは二岡、タイカップ型のグリップエンドは清水モデルを取り入れ、そこに若干の微調整を加えて自身の野球人生を支える理想のバットを完成させた。
「本当に2人がいなかったら生まれてなかったバットですし、いまの僕もいなかったかもしれない。感謝しかありません」
さらにあのときに杉内と対戦してなかったら……このバットも誕生してなかったかもしれない。そんな杉内と奇しくも同じ年に現役を引退するのも不思議な縁も感じる。バット1本にまつわる人間模様。たかが道具、されど道具。そこには私たちがまだまだ知らない物語が眠っている。
文=松井進作 写真=高原由佳