今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 長田が客席乱入
今回は『1964年7月27日号』。定価は50円だ。
7月11、12日、川崎球場で
巨人相手に連勝。メガトン打線の大洋が優勝にひた走っている。
その2戦目、12日に事件が起こった。観客が投げたウイスキーの瓶がポパイと言われた怪力男、大洋のレフト・
長田幸雄の後方に「ボトン」。
振り向いた長田は、金網フェンスを一気によじ登って客席へ。暴行を加えたわけではないが、退場を命じられた。
長田は「2度目だったから注意しただけ。危害を加えたわけでもない」と退場宣告に納得せず、しばらくグラウンドにとどまったが、
三原脩監督に説得され、ベンチに引き揚げた。

長田の見事な登りっぷり
慶大閥の形成?
早くも優勝が絶望的になってきた巨人には、かつてのチームを率いて黄金時代を築き、当時東映監督だった
水原茂の復帰説が流れている。
N紙の記事だったが、理由は、
東映・大川博社長が
中日に「(退職した)高田前代表を球団に復帰させたら水原を譲っていい」と発言したことが水原監督に漏れ聞こえ、激怒していたこと。
正力亨副社長が慶大の先輩である水原と何度か会談し、すでに巨人退団の経緯については和解。また、正力の中に将来の監督として、こちらは慶大の後輩・
藤田元司を就かせる構想があり、藤田が慕う水原を復帰させ、将来的には後ろ盾になってもらいたいと思っていること。
正力が
川上哲治監督に対し、何人かの若手投手を“つぶした”とされる中尾コーチの罷免を要求。川上はこれを「すべては自分の責任」と拒否した。これが正力の反感を買った。
などが挙げられている。
水原は、正力との会談は認めながらも「巨人軍復帰などという話をシーズン中にするかね」と一蹴。正力副社長も「水原監督との単独会見はあったことはあったよ。だけど、それが復帰説になったり、僕が学閥をもって巨人の体制をつくるということにとられちゃ困るな」と語っている。
肩痛で二軍調整が続いていた西鉄・
稲尾和久が、7月6日、ウエスタンに初めて登板した(代打はあった)。2回無失点ながら「肩の調子はかなりよくなったが、第一線に出るまではまだ時間がかかる。力を入れてぶり返したら困るので徐々に投げ込んでいきたい」と慎重だ。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM