1993年オフからスタートしたFA制度。いまや同制度は定着し、権利を得た選手の動向は常に注目されている。週べONLINEでは、そのFAの歴史を年度別に振り返っていく。 横浜に吹き荒れたリストラの嵐
フリーエージェント(FA)元年ともいえる1993年。FA制度の導入とともに、大物選手のトレードは影をひそめていくことになる。たとえば大物と大物を交換したところで、その大物が1、2年でFA宣言してしまっては、そもそものトレードに“旨味”がないからだ。
この93年は、大物を含む“最後の”大型トレードが敢行されたシーズンオフでもある。
西武からはチームリーダーの
秋山幸二、先発右腕の
渡辺智男、若手右腕の
内山智之がダイエーへ、ダイエーからは中心打者の
佐々木誠、若手エースの
村田勝喜、リリーフ左腕の
橋本武広が西武へ。秋山の獲得はダイエーにとっては大きく、秋山は南海時代から低迷を続けていたホークスを99年に優勝、日本一へと引っ張っていくことになる。
一方のFA移籍は、4選手が権利を行使。導入1年目にして、やはり大物が動いた。
【1993年オフのFA移籍】
12月9日 駒田徳広(巨人→横浜)
12月14日
松永浩美(
阪神→ダイエー)
12月16日
石嶺和彦(
オリックス→阪神)
12月21日
落合博満(
中日→巨人)
83年に初打席満塁弾でデビューした“満塁男”駒田がFA宣言。獲得したのは横浜だった。大洋から横浜となって1年目のオフだったが、駒田の獲得に先立って、大洋時代からの功労者でもある
高木豊、
屋鋪要、
山崎賢一、
大門和彦に戦力外通告。大洋時代からのファンから、このリストラの象徴的存在に見られてしまった駒田だったが、98年に“マシンガン打線”の五番打者として38年ぶりの優勝、日本一に貢献する。低迷が長かったチームにあって貴重な優勝経験者としても重要な役割を担い、しっかりファンを喜ばせた。一方、駒田のいた巨人へ転じた屋鋪は、移籍1年目に初めて優勝を経験することになる。
対照的に古巣ファンの反感を買ったのが松永だ。92年オフにオリックスから阪神へ移籍したばかりで、しかも故障で80試合の出場に終わっていたところでのFA移籍だった。だが、松永は「阪神がどうこうじゃなく、プロ野球が夢を与える存在になっていない」と、FA宣言を最初から決めていたという。
オリックス時代は指名打者がメーンだった石嶺は、阪神では外野を守って移籍1年目は全試合に出場。主に五番、時には四番にも座って、勝負強さを発揮している。
有言実行を果たした落合

中日から巨人へFA移籍した落合博満[右。左は長嶋茂雄監督]
あこがれだった長嶋茂雄監督の率いる巨人へ移籍して「長嶋さんを胴上げするために来た」と語ったのが落合だった。三冠王3度の強打者も、すでに40歳。全盛期ほどのパワーはなかったが、四番打者として背中でチームを引っ張っていく。
そして有言実行。翌94年、巨人は史上初の最終戦同率決戦“10.8”で、落合にとっては古巣でもある中日を破ってリーグ優勝。この試合で落合は守備で負傷して離脱したが、その捨て身のプレーは巨人ナインを鼓舞した。巨人は西武との日本シリーズも制して日本一に。長嶋監督にとっては初の日本一でもあった。
落合が移籍した効果は、この日本一だけにとどまらなかった。その姿を三番打者として間近で眺めていたのが、93年に入団したプロ2年目の
松井秀喜だ。その後、巨人の四番打者へと成長し、2000年には全試合に四番として先発。02年オフにはFAで海を渡って、メジャーでも活躍した。
写真=BBM