今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 近藤和彦へのヤジ
今回は『1965年5月24日号』。定価は50円だ。
5月1日、
広島が大洋を破り首位に立った。開幕直後を除けば、球団創設以来、初の単独首位だ。翌日に敗れ、1日天下に終わったが、雨中止の後で迎えた5月5日、広島市民球場の大洋戦ダブルヘッダーは満員。みな興奮状態となっていた。
しかし1試合目に1対3で敗れた後、2試合目も劣勢。試合終盤に事件は起こった。
きっかけは試合内容だ。大洋の一方的な展開となりかけていたことで、広島ファンが徐々にイライラし出した。
最初は大洋の打者、
近藤和彦へのヤジ。独特の天秤棒打法に客席から「ヒトツ、フタツ、ミッツ」と声がかかった。これは1年前くらいから始まったことであったが、2回の打席で広島ファンの大合唱となり、集中力を欠いた近藤は三振となった。
大合唱となったのは理由がある。大洋・
三原脩監督がヤジを聞いて打席を外す近藤の姿を見て、審判に抗議。審判も場内アナウンスで「選手が打つ直前は静かにしてください」と放送した。
しかし、これが完全な藪蛇となる。放送の後、最初は4、5人だったのが、どんどん増え、大合唱となっていく。その間、
「田代球審よう聞け。ファンがスタンドでヒトツ、フタツ、ミッツと数を数えてはいかんと野球規則の第何条にかかれてあるか、教えてくれ」
「数字を数えとるのは近藤をヤジっているんではない。スタンドでラジオ体操を踊っているんや」
と大声が飛び、そのたび笑い声と拍手が起こり、その後、空き缶、ビンがグラウンドに投げ込まれた。
さらに8回裏だ。1対6からようやく広島打線に火がつき、
山本一義が満塁でライトに鋭いライナー。これに突っ込んだ
黒木基康の股間を打球が抜き、走者が3人かえり、4対6だ。
しかし、ここで黒木が血相を変えて塁審に詰め寄り、さらにベンチから大洋の三原監督らが飛び出し、審判に抗議。すかさず、スタンドからファンが物を投げ、さらにはグラウンドに降りてきたが、騒動を警戒した警官隊が追い返し、あちこちでいたちごっこになっていた。
抗議の後、広島側に何やら話し合いをし、その後のアナウンスで、
「投手が投げる前にスタンドから黒木君の近くにウイスキーの瓶が飛んできた。そこで黒木君は原田線審にタイムを要求し、瓶を拾い、線審に近づいた後に投球が行われ、山本君が打った。ほかの審判は原田線審がタイムも宣告をしたのが聞こえなかった。したがってもう一度、二死満塁で山本君に打ってもらう」
と説明した。
この後、再び物が一斉に投げ込まれ、一時は審判が引き揚げる騒ぎもあったが、45分後に試合再開。広島は2対6で敗れた。
もちろんこれですむわけがなく、試合後、球場周囲には暴徒と化したファンが集合。大洋の選手、審判は外野の出口からこっそりタクシーで宿舎に帰った。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM