今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 沖縄の星、安仁屋
今回は『1965年5月31日号』。定価は50円だ。
すいません。表紙画像間違っていたので12時30分に正しい画像入れます(現在10時58分。早く会社に戻ったので11時15分修正アップ。お騒がせしました)。
サンフランシスコに戻った(?)
村上雅則は、5月9日のドジャース戦8回一死一、二塁から登板し、死球を出して満塁とされるも、次打者は三振。そこで次が右打者だったこともあり、交代。
「試合を遠ざかっていたので、なかなか調子が上がらなかった。今度登板したときは、もっといいピッチングをします」
と試合後、語った。
村上が去った南海は絶好調。5月16日時点で21勝6敗。2位東京を6.5ゲーム引き離す独走状態となっていた。チーム打率は.281とよく打ち、投手陣では
杉浦忠が飛ばしている。2戦連続完投勝利に始まり、8試合に投げ、6勝無敗、防御率1.50だ。
セで春先好調だった
広島では2年目の
安仁屋宗八が話題になっていた。いまだアメリカの占領下にあった沖縄出身の選手。
白石勝巳監督も「いまやウチのエースはハチ(安仁屋)だね」と信頼を寄せていた。
横手からの投げ、制球力はいま一つだが、キレがあり、カーブ、シュートも効果的だった。
特に安仁屋が張り切るのは
巨人戦。それには理由がある。
「沖縄にもテレビ中継されることになったでしょ。巨人戦のように全国中継があるときは沖縄のオヤジやオフクロ、それに昔働いた琉球煙草の人たちも見るかもしれないからうかつなピッチングはできませんよ。これから勝ち星を積み重ねて沖縄の人に喜んでもらいます」
阪急・
スペンサーの名人芸のスパイクも紹介されていた。
東映戦、一走でセカンドゴロ。セカンドに向かったスペンサーは、ベースではなく、センター方向に右足を伸ばすようなスライディングし、そこから右足をベース方向に回すと、ちょうど捕球した相手野手の足払いになって相手は転倒。封殺のスペンサーは涼しい顔でベンチに戻った。
すぐ東映・
水原茂監督が抗議するも、妨害とは認められなかった。
当然、故意だ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM