今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 口の悪い監督たち
今回は『1965年6月7日号』。定価は50円だ。
5月6日に6勝目(無敗)を挙げた南海・
杉浦忠に異変が起こった。
24日の朝刊に「杉浦、投手を断念?」の記事が出た。61年に一度、血行障害で手術をしていた杉浦だが、23日、小倉での西鉄戦の後、同様の症状が出たという。
急きょ上京し、手術を受けた東大病院に行った杉浦に記者団が直撃した。
「手首から先が冷たくなるのは、ずっと変わらないが、去年より今年のほうが悪いように思う。今までは血管を太くする薬を飲んでいたが、前の診断から間が空いたので来た。定期診断のような気持ちです」
本人は淡々と答えた。
しかし大阪に戻ったところで話を聞いた捕手・野村克也の証言はなまなましい。
「7回にホームランを打たれた後、マウンドへ行った。するとスギが“腕がおかしい。これが自分の最後の試合になるかもしれん”と言った。それで“だからもう少し投げさせてくれ”と。びっくりしたよ。大したことがなければいいが……」
セの監督たちの話も載っていたが、みな大人げない。
阪神・藤本定義監督の
巨人・
川上哲治監督批判は相変わらず大人げなく、背番号を16から77に変えたことに対して、
「77というのはサンセット77というテレビ番組から取ったらしいな。川上はサンセット通りがどんな通りか知らんのやろ。ワシは去年のアメリカキャンプで行ってきたが、長い下り坂やった。なぜワシに相談しなかったのか。バカなことをしたもんや」
うまいからかい方と言いたいが、道は逆もある。長い下り坂は長い上り坂でもある。
この藤本監督に対しては、大洋・
三原脩監督が口撃。
「藤本さんはポンコツばかり集める。あの人の経歴は長いが、やっていることは半分素人だ。これまで阪神を2度優勝させたのは強力な投手陣があったからこそじゃないか。半素人じゃ相手にできんよ」
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM