
野村克也氏は12月19日、立正大の優勝祝賀会に出席。同大学を率いる坂田精二郎監督は社会人野球・シダックス時代の教え子だ[写真左から坂田監督、野村氏、DeNAに入団する伊藤裕季也、楽天に入団する小郷裕哉]
しっかり、ノムさんの教えをつないでいた。野村克也氏はプロでは
ヤクルト・
古田敦也、楽天・
嶋基宏ら多くの名捕手を育てたが、アマチュア球界にも多大な功績を残していた。
野村氏は社会人野球・シダックス(2006年限りで廃部)の監督を2002年11月から05年11月まで務めたが当時、不動の正捕手を担っていたのが現在、立正大を率いる坂田精二郎監督だった。
坂田監督は野村氏から「ID野球」をたたき込まれ、「勝てるキャッチャー」として日本代表でもプレーするほど、社会人屈指の名選手として足跡を残した。
シダックスの廃部後はセガサミーへ移籍して10年まで現役を続け、11年に母校・立正大にコーチとして戻った。13年からは監督として率いて二部だったチームを一部へ引き上げ、就任6年目の今秋、東都大学リーグ戦で2度目のリーグ制覇へ導くと、11月の明治神宮大会でも9年ぶりの優勝を遂げている。野村氏の考えを学生に浸透させ、結実させたのだ。
12月19日、東京都内のホテルで開かれた優勝祝賀会には野村氏の姿があり、来賓としてあいさつ。恩師からのお祝いメッセージを受けた坂田監督は「昨年の(シダックス)OB会でも『監督の器らしくなった』と言われて、励みになったんです。これからも、一つでも恩返ししていきたい」と背筋を伸ばした。
祝宴では象徴的なシーンがあった。坂田監督と主力選手、マネジャーが壇上に上がってのスピーチ。司会者から「優勝の要因」を問われると、坂田監督はこう切り出した。
「野球はピッチャーが投げないと始まらないと言われますが、捕手がサインを出さないと始まらない。木下はよくやってくれた」
本人を目の前にして、今秋の活躍ぶりを称えたのである。昨秋までの正捕手・
小畑尋規(現トヨタ自動車)は下級生時代からマスクをかぶり、今年のチーム結成当初は「司令塔不在」という課題を抱えていた。そんな厳しい状況の中から木下朗(4年・戸塚高)がラストイヤーにして台頭。坂田監督は手塩にかけて育ててきたキャッチャーに対して、約550人の出席者の前に労いの言葉をかけたのである。
捕手出身らしい配慮。目の前でスピーチを聞いていた野村氏も、うなずいていた。野村氏は約2時間、パーティーがすべて終わるまで帰らず、教え子の晴れ舞台を静かに見守った。
立正大の前回優勝は2009年秋。ところが、10年春は一部最下位で入れ替え戦にも敗れ、二部降格の屈辱を味わった。「戦国東都」は生存競争をかけた厳しい世界。しかも、世代が入れ替わる学生野球であり、チームが変われば何が起こるか分からない。坂田監督は壇上で「たまたまではなく、ここで終わりでもなく、本物のチームにする。新しい歴史を築いていきたい」と決意を新たにしていた。
祝賀会後、報道陣の取材に応じた坂田監督は「オチ、がないようにしたい(苦笑)」と、ユーモアたっぷりに語った。巧みな話術もノムさん直伝と言えるだろう。「最後は人」。これは、ある野村監督門下生が学んだという金言だ。次世代に「ID野球」をつないだ野村氏の功績を、あらためて感じる時間だった。
文=岡本朋祐 写真=BBM