新監督の頭に残る16年前の強烈なインパクト

早大・小宮山新監督は練習始動日となった1月5日、早くも選手たちに厳しい姿勢を打ち出している
選手の表情を見るだけで、ただならぬ緊迫感が伝わってくる。ノックバットを手にする新指揮官はサングラスをかけているが、鬼の形相が見て取れる。1月1日付で母校・早大の監督に就任した
小宮山悟監督が、練習始動日の5日、いきなりカミナリを落とした。
東伏見稲荷神社での必勝祈願を終え、約15分のミーティングでは「やる気になったら、何でもできる。覚悟を決めろ!!」と言った。すでに昨年11月から特別コーチとして指導していたが、あらためて練習の重要性を訴えたのだ。午前中、約2時間の練習は、ボールを一切使わないトレーニングが続いた。じっと見守っていた指揮官だったが、メニュー終了後に部員を集めてゲキを飛ばしている。
「笑っているうちは、何も得られないよ!!」
メニューをすべて終えた後ならまだしも、トレーニング種目に取り組んでいる最中に笑みをこぼしている姿が許せなかったという。練習冒頭の10分間走においても、気づいたことがあった。「走るのが得意な人、不得意な人がいる。本人が(自分の)壁を乗り越えるために歯を食いしばったか。そこが、大事。妥協をするな!! と。妥協した時点で、積み上げてきたものがすべて終わる」と、とにかく練習の充実を求めている。
「東伏見=神宮」
かつて早大を率いた野村徹元監督が当時、口酸っぱく言っていた指示である。内容は簡潔。練習場である東伏見グラウンド(現名・安部球場)を、東京六大学リーグ戦が行われる神宮球場と同じ緊張感で練習を消化しよう、という方針だ。つまり、練習でできないことは、試合では絶対に実践できない、と。当時の東伏見には、厳しい空気が充満していた。
野村氏は早大を2002年春から03年秋にかけてリーグ4連覇へ導いた名将である。小宮山氏はプロの現役時代、メッツ退団後、古巣・
ロッテへ復帰するまでの約1年間、所属球団がなく、単身でトレーニングを続けていた。その03年、野村監督から声がかかり、小宮山氏は早大の練習を見学する機会が多かった。
02年のエースは
ソフトバンク・
和田毅。先輩からの伝統を引き継いだ当時の4年生は元
広島・
比嘉寿光(主将)、
ヤクルト・
青木宣親、
阪神・
鳥谷敬、元
オリックス・
由田慎太郎で、3年生には元ヤクルト・
田中浩康、2年生には元ヤクルト・
武内晋一らがいた。
「別世界だった」
目の前で広がっていた意識高い取り組みが、強烈なインパクトとして残っている。
「4連覇したときのチームには、スキがなかった。あの雰囲気を取り戻せば、負けることはない。あの強かった1990年代の
西武よりも、2003年の早稲田が上だった私は考えている。野球チームとしての完成形だった」
小宮山監督も「安部球場=神宮」を目指している。
4連覇チームとは「天と地の差」
19年主将の
加藤雅樹(4年・早実)は「厳しさと緊張感。一つひとつの練習に意味が出てきた」と、収穫を語ると、こう続けた。
「ムダな時間を過ごさず、(リーグ戦開幕の)4月までに小宮山監督が思い描いたチームにしていきたい」
確かに野村氏が率いた16年前、グラウンドには張り詰めた空気が流れていた。シートノック前のボール回しで悪送球があった際には、次のメニューに進まない。つまり、延々とキャッチボールが続いた日もあった。
小宮山監督は03年と現チームを「天と地の差」と、冷静に比較したが、「練習をやったヤツが勝つ。あの雰囲気を追い求めていきたい。4連覇したチームをお手本にしていく」と、今後の展望を語った。さらに、こう続けた。
「野村さんのように、監督がベンチに腰を下ろして、練習を見守るのが究極のゴール」
春のリーグ戦の目標を聞いても、具体的な返答はなし。日々のグラウンドのムードづくりこそが、まず、着手すべき最優先事項。小宮山監督が打ち出す「意識改革」がどのような形で実を結ぶか、今後の動向から目が離せない。
文=岡本朋祐 写真=高塩隆