背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 ノーヒットノーランの逸話
2019年は2人の新人に「12」が与えられた。
巨人の
高橋優貴と西武の
渡邉勇太朗だが、ともに投手。10番台の背番号だけに、やはり投手が多数派だ。
投手にはノーヒットノーランにまつわる逸話がある。17年間、2チームで「12」を着けた
坂井勝二は通算166勝を残したサブマリンだが、1967年には10日間で2度もノーヒットノーランを逃す悲運も。同じ「12」で来日1年目の85年に
日本ハムを相手にノーヒットノーランを達成したのが西武の郭泰源で、その5日後にノーヒットノーランでチームの名誉挽回を果たしたのが日本ハムの“オオユキ”
田中幸雄だった。
創設期の
阪神を支えた“カイザー”
田中義雄を皮切りに、“ささやき戦術”の元祖で、阪急や西鉄で「12」を着けた
日比野武、西鉄の「12」を継承して
稲尾和久とバッテリーを組んだ
和田博実、
ロッテで
村田兆治の“愛妻”として活躍し、ともに引退した
袴田英利ら、古くから捕手も目立つ。この傾向は近年も続き、バッテリーのナンバーという印象も強い。
【12球団・主な歴代「12」】
巨人
楠安夫、
柴田勲、
鈴木尚広、
脇谷亮太、高橋優貴☆(2019年~)
阪神 田中義雄、
後藤次男、
和田徹、
福間納、
坂本誠志郎☆
中日 石丸藤吉、
星田次郎、
岡嶋博治、
岡本真也、
田島慎二☆
オリックス 柴田英治、岡嶋博治、
大熊忠義、
山沖之彦、
マレーロ☆
ソフトバンク 別所昭、
蔭山和夫、
広瀬叔功、
井上祐二、
高谷裕亮☆
日本ハム
斎藤宏、
富永格郎、田中幸雄、
鎌倉健、
松本剛☆
ロッテ
榎原好、坂井勝二、袴田英利、
藤田宗一、
石川歩☆
DeNA 麻生実男、坂井勝二、
関口伊織、
小林寛、
阪口皓亮☆
西武 日比野武、和田博実、郭泰源、
垣内哲也、渡邉勇太朗☆(2019年~)
広島 榊原盛毅、
田中尊、
高木宣宏、
白濱裕太、
九里亜蓮☆
ヤクルト 黒岩弘、
会田照夫、
矢野和哉、
斎藤充弘、
石山泰稚☆
楽天 小林宏、
草野大輔、
ケニー・レイ、
近藤弘樹☆
(☆は2019年)
象徴的な“赤い手袋”

巨人・柴田勲(左)、南海・広瀬叔功
一方、プロ野球で初めてのスイッチヒッターとして巨人V9の一番打者を務め、赤い手袋で塁間を駆け回った柴田勲は、もともとはエースとして甲子園を沸かせた投手だった。そのまま投手としてプロ入り。背番号も投手ナンバーの印象が強い「12」に。しかし投手では芽が出ず、1年目の秋に打者転向。その後は通算6度の盗塁王、スイッチヒッター唯一の通算2000安打を達成することになる。「12」の物語において、この柴田は象徴的だ。
バッテリーのナンバーながらエース級の投手が少ない一方で、盗塁王に輝いた韋駄天は異彩を放つ。のちに柴田は「7」に変更したため、「12」としては5度の盗塁王に輝いた南海の広瀬叔功が最多だ。「12」となった1961年に42盗塁で初の戴冠、以降5年連続で盗塁王に。通算盗塁では596盗塁の広瀬が2位、579盗塁の柴田が3位。広瀬の盗塁成功率.829は通算300盗塁以上の選手ではトップだ。
58年から2年連続で盗塁王になった中日の岡嶋博治も「12」で、その岡嶋との“盗塁王トレード”で中日へ加入した
河野旭輝が「12」を継承、62年に自身5年ぶり、プロ野球で唯一の両リーグ盗塁王に。62年はパ・リーグの盗塁王が広瀬で、両リーグとも盗塁王が「12」というシーズンになった。近年では巨人の“代走のスペシャリスト”鈴木尚広の活躍も印象に残る。
写真=BBM