背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 セットアッパーの地位向上とともに
中継ぎ投手には、かつては先発として失格の烙印を押され、抑えの切り札としても信頼されない投手、という負のイメージがつきまとっていた。先発投手は完投が当たり前だった時代から、徐々に投手の分業制が進み、1990年代に入ると、中継ぎ投手を対象としたタイトルが誕生する。「43」の投手に光が当たるようになったのも、ちょうどそのころだ。
阪神・淡路大震災が発生した95年、被災した神戸に本拠地を置くオリックスへ移籍して、中継ぎとしてリーグ優勝に貢献したのが鈴木平だ。日本一イヤーの翌96年にはクローザーも務めた。ホールドが両リーグで公式記録となった2005年に移籍してきて“初代”ホールド王となったのが
菊地原毅。
広島でも中継ぎとして当時のプロ野球記録だったシーズン78試合に投げまくった左腕だ。
中日で99年に着けた
小笠原孝は先発としても活躍し、黄金時代に不可欠な存在となる。14年間も「43」を背負い続けた少数派だ。一方、
日本ハムでは
増井浩俊が「43」のセットアッパーとして頭角を現して「19」に。打者でも古くは近鉄の
大石大二郎が「43」で初の盗塁王に輝き、「4」でチームの主軸となった。
【12球団・主な歴代「43」】
巨人 南温平、
高橋明、
大北敏博、
鈴木康友、
重信慎之介☆
阪神
横山光次、
宮内仁一(直二)、
上坂太一郎、
西村憲、
守屋功輝☆
中日
千原陽三郎、
平田恒男、
遠藤政隆、小笠原孝、
三ツ間卓也☆
オリックス 渡辺守、
田島克彦、鈴木平、菊地原毅、
山本由伸☆
ソフトバンク 配島久美、
岩木哲、
坂口千仙、
ガトームソン、
江川智晃☆
日本ハム
福島郁夫、カールトン半田(コーチ)、
西俊児、増井浩俊、
白村明弘☆
ロッテ 土肥健二、ウォーレン、ミンチー、
黒沢翔太、
小島和哉☆(2019年~)
DeNA 松島英雄、
村岡耕一、
横山道哉、
北篤、
進藤拓也☆
西武 北原啓、
蓬莱昭彦、
横田久則、
水尾嘉孝、
高橋朋己 広島
深沢修一、ブラウン、ミンチー、
土生翔平、
島内颯太郎☆(2019年~)
ヤクルト 佐々木重徳、
上水流洋、
阿井英二郎、
宮出隆自、
村中恭兵☆
楽天 徳元敏、
寺田龍平、
小斉祐輔、
ミコライオ、
宋家豪☆
(☆は2019年)
“疑惑”の助っ人投手

ロッテ・ウォーレン
現役でも多くの選手にとって出世番号となる可能性を秘めるが、一方で“復活番号”の印象もある。筆頭格はセ・リーグでは村中恭兵、パ・リーグでは高橋朋己だろう。「15」の先発として活躍していた村中は故障に苦しみ、「43」の中継ぎとして16年に復活。一方、クローザーの高橋朋も故障で手術を受け、19年は育成で再起を期す。
打者では右の代打としてソフトバンクを支える江川智晃、若手では巨人の重信慎之介がいて、職人タイプの遊撃手だった鈴木康友の後継者だ。その系譜をさかのぼると先発タイプの投手で高橋明がいる。63年から2年連続2ケタ勝利も、V9時代に入ると急失速、西鉄へ移籍した1年目に14勝を挙げた意外性の右腕だ。
外国人投手の存在感も際立っている。広島とロッテで一貫して背負い続け、両リーグで2ケタ勝利を挙げたのがミンチー。ロッテの前任者はウォーレンで、たびたび不正投球疑惑もあったリリーバーだ。飲む育毛剤が原因でドーピング疑惑にさらされたのがソフトバンクのガトームソン。警告を受けながらも服用をやめなかったためで、同様の悩みを抱える男性を中心に、疑惑は同情に変わった(?)。
写真=BBM