球界再編問題により2004年オフに誕生。当初は寄せ集め集団で負けに負けた。それでも徐々に力をつけ、11年大震災の後には復興のため、被災者を勇気づけるためにと奮起。13年、見事日本一に輝いた。 初勝利の後、大敗

2005年記念すべき球団第1勝は岩隈の完投勝ちだった(左は田尾監督)
2004年、日本中に衝撃を与えた球界再編問題により、近鉄と
オリックスが合併。その後、ライブドアとの競合の末、新規参入を勝ち取ったのが
東北楽天ゴールデンイーグルスだった。50年ぶりの新規参入球団は、東北の宮城県仙台市を本拠地に選び、
田尾安志監督の下、スタートを切った。
ただし、戦力的にはオリックス、近鉄の選手を合わせた中で、優先的に選手を選んだのはオリックス。楽天は、その残りと、他球団から戦力外となった選手などを集めた、いわば“寄せ集め軍団”だった。幸いだったのは、近鉄のエース、
岩隈久志がオリックスにプロテクトされながら楽天入りを熱望。金銭トレードの形で獲得できたことだろう。3月26日、
ロッテとの開幕戦(千葉マリン)では、その岩隈が1失点完投で歴史的な球団初勝利。ただ、翌日0対26と大敗したように戦力不足は明らか。最終的には97敗で最下位と屈辱的なシーズンになった。
田尾監督が1年で退任した後、06年、歴戦の名将・
野村克也監督が就任する。打線はリック、
鉄平ら4人の3割打者を出すなど、まずまずだったのだが、投手陣の不安定さが大きく響き、2年連続最下位に終わった。
翌07年には、甲子園を沸かせた大物ルーキー、
田中将大が入団。“マー君”は期待に応え、11勝を挙げて新人王。打っては大ベテランの
山崎武司が大暴れを見せて本塁打、打点の2冠。チームも最下位を脱出し、4位に入った。
08年は前半戦から走る。交流戦にも初めて勝ち越し、7月8日まで3位と健闘したが、最終的には5位。その中で光ったのはエースの岩隈だ。21勝で最多勝、1.87で最優秀防御率。沢村賞、MVPも手にしている。
就任4年目の野村監督の下、77勝66敗1分けと初の年間勝ち越しをし、史上最高の2位となったのが、09年だ。投手では田中が15勝、岩隈と
永井怜がともに13勝、野手では鉄平が初の首位打者となった。迎えたCSでは第1ステージで
ソフトバンクを破って勢いに乗るも、第2ステージで
日本ハムに敗退。すでに球団から退任を告げられていた野村監督だが、留任を求め、ひと悶着があった。最終的にはしぶしぶユニフォームを脱いだ。
東北のために

2013年リーグ優勝を決め、田中将大が両手を突き上げる
後任の
マーティ・ブラウン監督初年度の10年は、故障者続出もあって最下位。ブラウン監督は1年で退任となり、今度は、闘将・
星野仙一監督が就任。メジャー帰りの
松井稼頭央、
岩村明憲らを獲得し、話題となった。しかし、11年のシーズン目前、3月11日に東日本大震災が起こり、本拠地・仙台も大きな被害を受けた。
4月2日。札幌ドームでのチャリティーマッチの前に行われた
嶋基宏のスピーチ、「見せましょう。野球の底力を」は、日本中に感動を呼んだ。結果は5位だったが、田中が19勝で最多勝、1.27で最優秀防御率となっている。
12年の4位を挟み、迎えた13年、ついに歓喜のときがやってきた。開幕から24勝無敗の田中を軸に、開幕投手も務めた
則本昂大が15勝。野手では
ジョーンズ、
マギーの助っ人が存在感を発揮し、見事、球団創設以来初優勝。CSではロッテ、日本シリーズでは
巨人を下し、悲願の日本一にもなって、星野監督が仙台の空を舞った。
14年は田中がメジャー移籍で抜け、再び最下位。途中、星野監督は健康上の理由から休養し、そのまま退任となった。代行として指揮を執った
大久保博元が翌15年から正式に監督になるも、またも最下位で退任。16年からは
梨田昌孝監督になり、初年度は5位。翌17年には則本の奪三振世界記録もあって前半戦は首位を走り、最終的には3位。しかし、新年早々、星野元監督が死去した昨シーズンは振るわず、またも最下位となった。
19年は、18年途中に休養した梨田監督に代わって指揮を執っていた「松坂世代」の
平石洋介が正式に監督に就任した。
写真=BBM