首脳陣を含めて91人――。ライオンズで支配下、育成選手72人より多いのがチームスタッフだ。グラウンドで躍動する選手たちだけではなく、陰で働く存在の力がなければペナントを勝ち抜くことはできない。プライドを持って職務を全うするチームスタッフ。獅子を支える各部門のプロフェッショナルを順次、紹介していこう。 紆余曲折を経た野球人生

埼玉西武・武藤幸司打撃投手
埼玉西武の打撃投手を務めて17年目を迎える武藤幸司は“元プロ”の投手だ。しかし、その名は日本プロ野球史には刻まれていない。身長174センチの右腕がプロとしてユニフォームを着た地は台湾。埼玉からはるか南の地で助っ人投手としてマウンドに立つまでには紆余曲折を経た野球人生があった。
1972年12月6日、大阪府枚方市に生まれた武藤。父親が少年野球チームの監督で、兄も野球と親しみ、ごく自然な成り行きで白球を握り始めた。枚方第三中のとき、島原中央高からスカウトされ長崎県へ。エースとして2年生で九州大会のマウンドにも立った。順調にキャリアを重ね、高校卒業後、西濃運輸に入社。だが、社会人では「出れば打たれるの連続でした」と苦汁をなめた。3年間で公式戦は2度登板しただけで戦力外通告。その後は野球への思いを封印し、社業に専念した。
マウンドに立たなくなってから2年が過ぎようとしていた。そんなある日、高校時代の仲宗根朝也監督が出張で大阪へ。言葉をかわすうちに「高校野球の指導者をやってみたい」というおぼろげな夢を恩師に明かした。「それじゃあ大学に行かないとダメだ」。仲宗根監督は自身の母校である九産大を勧め、武藤も一念発起。96年、九産大に入学することになった。
23歳の大学1年生は新たなステージで急成長することになる。
「社会人のときは打者が金属バットだったこともあって、恐々投げていました。でも、大学は木製バットなので思い切って腕を振れた。それで結果も出て、自然に自信もついてきました」
福岡六大学野球リーグで大学3年秋には最優秀防御率を獲得。ストレートの球速は140キロそこそこだったが、スライダーも含めキレとコントロールが抜群だった。するとプロのスカウトから注目を浴びるようになる。4年春にも最優秀防御率に輝き、日米大学野球代表に選ばれ、全日本の候補にもなった。
異国の地でプロに
27歳のドラフト候補の行方は――。しかし、夢は叶わなかった。さて、進路をどうするか。社会人からも話があったが、九産大の池田監督が台湾球界につながりがあり、挑戦を決意。テストを受け、合格を勝ち取り、海を渡ることになった。
台湾大聯盟の台中金剛へ入団。異国でのプレーは大変な面もあったが、楽しい日々であったという。
「もう晩年でしたけど、元
巨人の
呂明賜さんと対戦しましたね。すごく気さくな方で、『日本から来た武藤です。よろしくお願いします』と挨拶に行ったら、『そうか、そうか、草加せんべい』と返されて(笑)。当時、嘉南勇士に在籍していた
渡辺久信さん(現埼玉西武GM)とも投げ合いましたからね。夢のようでした」
ちなみ渡辺GMの“投手・武藤”の評価は「いい投手でしたよ。投げ合いではほとんど私が勝っていましたけどね(笑)」。
3年目の2002年には優勝に貢献するなど台湾で好成績を残した。4年目も台湾でプレーするつもりでいたが、仲宗根監督を通じて、西武の打撃投手の話が舞い込んできた。年齢も30歳を迎え、これも何かの縁だと思い、新たな職場に飛び込んだ。
当たり前のことを当たり前に

打者の打ちやすいボールをテンポよく投げ込んでいく
ある打撃投手の経験者は言う。
「打撃投手は非常に難しいですよ。野球とは別の種目と思ったほうがいい」
打者に打たれまいとマウンドから魂を込めて1球を投じる投手とは役割は真逆だ。試合前のピリピリした緊張感の中で、打者に気持ちよく打ってもらうことが仕事の打撃投手。むしろ、相手に捕りやすいボールを投げてきた野手のほうが打撃投手に向いているのかもしれない。
武藤も「傍から見ると、マウンドの前からヒョイと軽く投げているように見えるかもしれません。でも、バッターのタイミングに合わせて、打ちやすいところに投げ続けるのは実は簡単ではない。いまだに難しさを感じますよ」と苦笑する。
「打者の調子もあるし、一人ひとり打ちやすいコースがあります。できる限り、そこに投げようと思いますけど、意識し過ぎると狂いが生じるので。打撃投手はメンタルが左右するんですよ。“ストライクを投げないといけない”という意識が強くなると、逆に入らなくなるんです」
打者が不調に陥っているときも過剰に意識しない。
「いつもより気持ちよく打ってもらって、試合に臨んでもらいたいとは思いますけど、そこまで意識はしません。自分の力でどうにかしようなんて、おこがましい。それに打撃練習で悪くても、試合で結果を出すこともよくありますからね」
常に安定したピッチングを貫くために、最も重要視するのは体調だ。練習前にしっかりと体を動かし、心と体を整える。万全の状態でマウンドの前に立ち、テンポよく約20分、100球弱を日々、打者へ投じていく。
「僕らは結果や数字が出る仕事ではありませんから。練習でしっかり投げることが仕事。当たり前のことを当たり前にやることが大事ですし、そのためには準備をきちんとしなければいけません」
それが、打撃投手としての武藤のプロ意識だ。
印象に残るのは長距離砲

チームのために自らの役割をしっかりこなすことを誓う
昨季、プロ野球歴代3位、球団新の792得点を挙げて10年ぶりの優勝を飾った埼玉西武。今季も6月3日現在、12球団トップの269得点と強打は健在だ。数々の強打者が生まれる伝統がチームにあるが、それはなぜか。打撃投手の立場から武藤の考えは――。
「フルスイングが伝統ですよね。コーチ陣の方が細かくいじったりしないで、打者のストロングポイントを生かしていく。形にとらわれず、個人の持ち味を引き出すスタイル。その良さが出ているように感じますね」
打撃投手として、印象に残っている打者には長距離砲の名前が挙がる。
「
カブレラ選手、
中村剛也選手、
山川穂高選手といった飛距離の出る打者はすごいですよね。でも、それぞれタイプは違います。カブレラ選手はボールを上からガツンと叩く感じ。中村選手は力を入れずに、軽く振って力感がないですけど、飛ばす。それでも角度に乗せることができるんですよね」
そして、昨季の本塁打王で、今季もここまで23本塁打とパ・リーグタイトル争いを独走する山川は――。
「どんな球でもホームランにすることができるのが山川選手のすごいところ。どこのコースでもホームランにする能力があります。打球角度を上げる技術も持っている。スイングスピードもカブレラに引けを取らないですよね」
野球ファンにも打撃練習で見てもらいたいと思うのは山川選手の圧倒的飛距離だ。
「やっぱりプロのすごさが一番分かりやすいじゃないですか。そのためにも僕らはいくらでも打たれます(笑)」
今年で47歳になる。年々、疲労度も増し、朝起きて肩の状態も気になるが、任されている限りはやり抜く。チームの勝利のために、今日も打たれ続けるためにマウンドの前に立つ。
(文中敬称略)
文=小林光男 写真=BBM