昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 西本幸雄の情
今回は『1967年10月30日号』。定価は60円。
すでにセは巨人、パは阪急の優勝が決まった後だったが、10月10日、
広島戦(後楽園)、巨人・
堀内恒夫がノーヒットノーランを達成した。
「気がついたのは8回裏、四球のランナーは出したが、まだヒットは打たれてないな、と思って」
実際、味方打線が打ちまくっての大勝だっただけになおかもしれない。
11対0、そして驚くべきことに堀内は3打席連続ホームランもマークしている。
プロ2年目、1年目に鮮烈デビューを飾った右腕も、この年は腰痛もあって苦しんだが、後半立ち直って12勝。阪急との日本シリーズでもキーマンと言われていた。
堀内は阪急の印象を聞かれ、次のように答えている。
「サンケイの打線にちょっと長打力がついたぐらいじゃないの」
これを聞いたかどうか知らないが、阪急・
西本幸雄監督が堀内について、
「打てない投手ではない。パにはあの程度ならゴロゴロいるわい」
と語ったと聞くと、今度は、
「打てるかどうか分からないじゃないですか。実際に僕が投げているときにバッターボックスに立ったわけじゃないのに」
それを言ったら「サンケイの打線に…」の説得力がなくなるようにも思うが、それは言うまい。
生意気盛りの19歳だ。
さらに、
「
スペンサーは殺人スライディングをやってくるでしょうね。もし、そんなことをしたら僕がたたじゃおきませんよ。ビーンボールを投げてやる。再起不能にしてしまうかもしれませんよ」
と物騒な言葉も残している。
西本監督の半生記もあった。
星野組時代、不景気で選手の給料が出なかった際、自らが金策に入って給料を渡し、なおかつ選手には「会社側が出してくれた」と言っていた話。
また、毎日の現役時代、武井桂三トレーナーが選手から酷使されたのをかばってくれたのが主将だった西本だった。
「あのころトレーナーどころかタバコ買い、風呂焚き、洗濯と雑用ばかり。そのとき西本さんが言ったんです。武井、つらいだろうが、我慢するんだ。この悪習は必ず俺が直すからな、と」
実際、いじめのごとき行為が横行する軍隊的雰囲気を変えてくれたらしい。
武井は、のち西本が退団した際、自身も辞めた。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM