いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。 “甲子園のアイドル”荒木、最後の夏

荒木からバックスクリーン横へ特大2ランを放った水野
1980年の夏に決勝で横浜に敗れた早実。注目を集めたのは4試合を完封した1年生エースの
荒木大輔(のち
ヤクルトほか)だった。その甘いマスクと確かな実力で人気は爆発。決勝で激突した横浜のエースは
愛甲猛(のち
ロッテほか)で、“やんちゃ”で人気を集めた愛甲とは対照的に、アイドル的なフィーバーとなる。ゲーム後のバスには女性ファンが殺到する異様な光景は、当時は日常の風景だった。“大ちゃんフィーバー”は長い甲子園の歴史でも別格。そんな“甲子園史上最大のアイドル”は、その後も甲子園に出場を続ける。
2年の春は初戦、夏は3回戦で、3年の春は準々決勝で敗退。人気が過熱していくことはあっても、優勝に手が届くことはなかった。そして3年の夏、82年の大会が泣いても笑っても最後の大会だ。荒木を擁する早実は宇治を荒木、
石井丈裕(のち
西武ほか)の完封リレーで完勝したのを皮切りに、星稜、東海大甲府を次々に破って、準々決勝へと勝ち進む。
対するは3年ぶり出場の池田だった。その3年前、79年の夏は決勝にコマを進めたが、箕島に公立校では初の春夏連覇を許した池田。まだ知名度も早実には遠く及ばず、下馬評も早実が有利とするものが圧倒的だった。荒木の悲願に声援を送る女性ファンも多かっただろう。だが、初回から波乱が起きる。
池田は1回裏一死、2年生で三番の江上光治が先制2ラン。2回裏にも3安打1四球で3点を追加してリードを広げる。投げては先発の
畠山準(のち南海ほか)が1回表、2回表と走者を背負うも後続を断ち、3回表は三者三振、4回表は三者凡退。一方の荒木も3回裏からは粘りの投球で5回裏まで得点を許さない。荒木を援護したい早実は続く6回表、死球と連打で、ようやく2点を返した。
“やまびこ打線”猛打で頂点へ
その裏、二死一塁から2年生で五番の
水野雄仁(のち
巨人)がバックスクリーン横へ特大2ラン。荒木は7回裏の途中、石井にマウンドを託した。それでも池田の猛攻は止まらない。8回裏には水野が石井から満塁弾。マウンドに戻った荒木にも5連打を浴びせて、一挙7点を奪って試合を決めた。
終わってみれば池田は20安打14得点。四国の内陸部に位置する池田の打線は、やまびこが途切れることなく鳴り響くように打ちまくったことで“やまびこ打線”と呼ばれるようになる。その後も“やまびこ打線”の勢いは止まらず、そのまま全国制覇。翌83年のセンバツも制して、夏春連覇を達成している。
1982年(昭和57年)
第64回大会・準々決勝
第12日 第3試合
早実 000 002 000 2
池田 230 002 07X 14
[勝]畠山
[敗]荒木
[本塁打]
(池田)江上、水野2
写真=BBM