昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 山本八郎、解雇
今回は『1968年3月4日号』。定価は60円。
当時は今のように情報が常にインターネットなどで発信されている時代ではない。サンケイのキャンプメンバー表の中に
山本八郎の名前がなかったことに多くの人が驚いた。
東映時代はケンカ八とも言われた暴れん坊で、かつ人気者だった。
山本によれば、12月、ふらりと球団事務所に顔を出すと、そこに保留選手として自分の名前が書かれた黒板を見て、「後頭部を鈍器で殴られたような気がした」という。
内臓疾患に加え、シーズン途中には首脳陣批判で完全にほされていた。ウワサでは酒浸りの日々だったようだが、
「決して野球はあきらめない」
と野球への情熱は消えていない。ほかの球団から声がかかるのを待ちたいという。
雑誌では巨人の台湾キャンプが徹底特集されているが、ここでは東京のマウイキャンプネタを少し。
ホテルの近くにボウリング場、ゴルフ場と数軒の映画館くらいしか娯楽がなかったらしい。どうやら移民が多かった地域のようで映画館にはフィリピン映画や日本映画も多数かかっていた。
青木スカウトは
アルトマン、ロペスに日本語に慣れてもらうため、日本映画につれていったという。題名もはっきり確認せず、入ったが、始まってびっくり。
なぜかポルノ映画だった。
陽気なロペスは大騒ぎしながら楽しんでいたが、アルトマンは仏頂面だったらしい。
青木スカウトは、
「あれはあくまで映画であって、日本の女性はあんな無貞操ではない」
と必死に弁解していた。
カークランドの背番号が31と決まった。当初は
広島に移籍した
山内一弘の8と言われていたが、急きょ31に。理由は定かでないが、「そのくらいはホームランを打ってくれよ」の期待ではないかとのこと。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM