今から10年ほど前、カープのローテーション左腕だった背番号21を覚えているだろうか。あの「ハンカチ王子」と読み仮名が同姓同名ということでも話題になった齊藤悠葵さん。現在は川崎市のアンダーアーマーのお店で、敏腕店長としてご活躍中。パンチ佐藤さんが訪ねました。 シンプルな考え方で09年シーズン9勝
パンチ佐藤(左)、齊藤悠葵氏
福井商業高1年の夏、背番号『11』を背負い、甲子園に出場。その後は故障もあり、同学年の
林啓介(元
ロッテほか)投手にエースの座を譲った。
速球とスライダーが持ち味の左腕。それが、林投手を見に来たスカウトの目に留まった。
「高校2年生までは、プロに行けるなんて思ってもみなかった。新聞で自分がドラフト候補に挙がっていると知り、それならプロで力を試してみたいと思いました」(齊藤さん)
2005年、高校生ドラフト3巡目で
広島に指名され、入団が決まった。
3年夏の甲子園に出場した福井商高は2回戦で山梨県代表・日本航空高に逆転負けを喫した
パンチ 福井商からカープに入ったときの印象は、どうでしたか。
齊藤 練習がキツイことと、福井県出身の選手が多かったことですね。東出(輝裕)さん、横山(竜士)さん、天谷(宗一郎)さんがいました。
パンチ じゃあ頼りがいがあったね。一軍の監督は誰の時代?
齊藤 僕は9年現役をやっていて、
マーティ・ブラウン監督が5年、
野村謙二郎さんが4年です。
パンチ それぞれ、どんな野球をする監督さんだったの?
齊藤 マーティは結構メジャー式で、練習はジャージー、短パンでOK。ピッチングのときだけユニフォームでした。キャンプ中も午前中実戦、午後からは各自ウエート、みたいな感じで、ラクというか効率がいいというか。野村監督は真逆ですね。
パンチ 駒沢(大学)だからね。俺、東都で一緒にやっていたから。
齊藤 で、走り込みもかなりあり、ピッチャーのパワーボールがあまり好きじゃない監督でした。僕は結構パワーボール派で、そんなにコントロールがよくなかったので……。
パンチ そこも、ブラウン監督は違った?
齊藤 マーティからは「体をしっかり作って、ピッチングはシンプルに考えてくれ」と言われました。「必ずファーストストライクを取ってくれ」と。そこだけでいい、と言われていたんですよ。そういう意味ではピッチングが簡単に組み立てられるようになって、先発をやっていく上で、とても気持ちがラクだったんです。マーティのとき(2009年)、シーズン9勝できたのはそのお陰だと思います。野村監督になってからは、スピードや精度を上げること、走り込みから下半身をしっかり作ってコントロールを付けること、といったところが入ってきて、自分からフォームを崩してしまい、翌10年は4勝しかできませんでした。
パンチ「お前に任せた」と、伸び伸びやるのが向いているタイプだったんだね。
齊藤 ただ、僕自身が少し弱かったのかなと思います。悪いときなりに、マウンドで修正しながらピッチングをすることができませんでした。悪かったら悪いまま、いってしまった部分がありましたね。
パンチ 今北海道
日本ハムのハンカチ王子・
斎藤佑樹君と同じ名前だって話題になったでしょう。彼のことは、どんなふうに思っていたの。
齊藤 プロ初勝利のときは、赤いタオルで汗を拭く真似をさせられましたね(笑)。向こうのほうが1個下なんですが、彼のおかげでちょっと有名になったかなとは思います。
パンチ そういうふうに思えるのはいいね。俺も
イチロー(元マリナーズほか)が活躍すればするほど、『パンチ、イチロー』で売り出してもらったわけだから、イチローには頑張ってほしいと思ってた。カープの投手陣の中では、誰と仲良くしていたの?
齊藤 大先輩で、今は
巨人にいる
大竹寛さんによくしてもらっていました。09年に9勝したときも、投球術をいろいろ教えていただきましたし、野球以外の礼儀なども教えていただきました。とてもいい先輩で、憧れの人です。
パンチ 気が合ったんだ。
齊藤 そうですね。2人ともお笑いが好きで趣味も合うし、よく飲みにも行っていました。
パンチ カープって、ずっと『投手王国』って言われてきたじゃない。カープならではの、バッテリー間の練習とかあった?
齊藤 今はどうか分からないですけど、僕らのときは試合中のベンチで、必ずピッチャーの隣にキャッチャーが座って、よくコミュニケーションを取るようにしていましたね。
人に見られるのが苦痛で野球まで嫌いになった
プロに入って2年間は背番号60だったが08年に21に変更となったのは、期待の大きさの表れだったのだろう
パンチ 最後は故障だったの?
齊藤 引退する2年ほど前にケガをして、そこからいったんは良くなったんですが、結局メンタル面がダメで、イップス気味になってしまい、終わりました。
パンチ「たられば」はないって言うけれども、「こうしておけばよかった」「こういう考え方でいけばよかった」というところはありますか。
齊藤 やはり、自分のフォームをもっと理解して練習しておけばよかったと思います。ただその日のピッチングがよかった、悪かったで終わっていました。悪いとき、もっとしっかり原因を追究しておけば、マウンドで修正もできたんじゃないかと思います。
パンチ じゃあ9勝を挙げたときは、イケイケドンドンで投げて、勝っちゃったって感じだったんだね。
齊藤 はい、そのころはいいときのビデオしか見ていなくて。研究が足りなかったんですね。
パンチ プロで最高の思い出は何?
齊藤 09年にチームの
中日戦13連敗を止めた勝利(8月20日)ですね。マツダスタジアムで、6回(4安打)無失点。自分の中で理想のピッチングというか、狙ったところに投げられた試合だったので、印象に残っています。
パンチ 悔いが残っていることは?
齊藤 辞める前の年、人に見られるのがイヤになってしまったんです。それで、野球まで嫌いになって……。
パンチ プロは人に見られてナンボ、特にピッチャーは勘違いするくらいじゃないとダメだよね。
齊藤 そうなんです。最初は「どうだ!」って気持ちでやっていたんですが、うまくいかないことだらけで、人に見られるのが苦痛になってしまいました。
パンチ じゃあ自分なりに「もうそろそろかな」と感じながらの1年だったんだ。
齊藤 そう思って松田(元)オーナーに話したら、「もう1年頑張れ」と言われまして。1年いただいたんですが、その1年も正直、苦痛でした。
パンチ カープはオーナーと直接話ができることがあるんだ。そこから1年後、引退を通告されたときの気持ちはどうだった?
齊藤 申し訳ないとは思いながらも、ちょっとホッとした気持ちでしたね。
パンチ ああ、これで解放されたって。さあ、そこから第二の人生、どうしようと思った?
齊藤 どうしようかなと思ったら、2日後くらいに、元カープの
喜田剛さんから電話がかかってきまして、この店を紹介されました。
パンチ 喜田君自身もそうだったから、元プロ野球選手ならフットワークもいいし、ガッツもあると分かっている。言い方は悪いけど、新卒の子を連れてくるよりも、元プロ野球選手のほうがいいと思ったのかもしれないね。だから齊藤君の退団の記事を見て、連絡してくれたんだよ。
齊藤 ここでは個人レッスンとか、子どもに教えるサービスもやっているんですが、そのときちょうどピッチャーがいなかった、ということもあると思います。
パンチ すべてにおいてタイミングがよかったんだね。じゃあ、言われてすぐ「お願いします」って感じ?
齊藤 まず、「一度見学に来い」と言われて見学に行きました。僕としても、野球に携われる仕事をしてみたいなと思っていましたので。
初めはパソコンの使い方も分からず……
齊藤さんが『アンダーアーマーベースボールハウス川崎久地店』を見学に訪れた日、ちょうど店内では“バッティング祭り”と称するイベントが行われていた。店のスタッフに野球を教わる子どもたちの、楽しそうな顔が印象的だった。
その後、BCリーグ(独立リーグ)の福井ミラクルエレファンツから、「地元でやりませんか」と誘われた。
「でも、野球はもうキツイかな、と思い、お断りしました」
踏ん切りはついた。
戦力外通告から2カ月後の12月1日、齊藤さんの第二の人生が始まった。
パンチ 齊藤君は変なプライドなく、スッとこの仕事に入ったように感じるんだけど、やっぱりそうだった? 「こんなことやってられねえよ」とか思わず、子どもたちに教えるのは楽しかった?
齊藤 最初は正直、変なプライドがあったかもしれません。でも、そんなことを思っていても、結局周りにもよくないし、自分も損するだけ。そのうちいい方向に向かうだろうと思っていました。だけど、子どもたちに教えるのは楽しかったですよ。子どもたちに未来を託すというか、自分がプロ野球でやってきた経験を彼らに直接伝えられることは自分自身も楽しいし、彼らがみるみる成長していくのも実感できて、うれしいです。
パンチ 今は、どんな仕事をしているの。
齊藤 販売と、あとは平日の個人レッスンです。
パンチ 販売については、違った立場で野球道具を扱ってみて、どう。
齊藤 グラブにはずっと触ってきましたが、こんなに職人さんが何時間も掛けて作っているなんて、想像もしていませんでした。
パンチ そんなふうに素直に思えるところが、いいよねえ。とはいっても、仕事は仕事。カベに当たったというか、難しいなと思った部分はありますか。
齊藤 初めはもう、全部難しかったです。まずはパソコンの使い方から……。
パンチ ああ、できなかったんだね。俺はいまだにダメだけど(笑)。
齊藤 メールの打ち方も分からなかったです(笑)。
パンチ 最初から覚えたんだね。
齊藤 それで、本社の業務部の人間とメールしているとき、向こうから「〜〜でよろしいですね?」と来たメールに対し、僕はひと言、「了解です」って送っちゃったんですよ。それで喜田さんに怒られました。「『○○さん、お疲れ様です』とか『かしこまりました』とか、ちゃんとした言葉を使ってメールしろ」と。
パンチ LINEの感覚で返事しちゃったんだね。
齊藤 はい、そんな具合で、戸惑いばかりでした。
パンチ 何年目くらいから、「俺、やっていけるかも」って思った?
齊藤 僕は店長になって約3年なんですが、そう思えるようになったのは、ここ1年くらいですよ。一昨年8月、ここをリニューアルしたときは、分からないことだらけで苦労しました。
パンチ 何年やって、店長に?
齊藤 1年くらいですね。
パンチ 入社当初の仕事と、店長の仕事の違いは何ですか。
齊藤 今はみんなに指示し、それを聞いてもらわなければいけません。まず僕、店長がやり、部下がそれを見て「店長がやっているとおりに、俺もやらなきゃいけない」と思えるように。自分が何もせず、あれこれ指示だけしても、おそらくみんな動いてはくれないと思います。そのへんは面白いところでもあるんですが。
パンチ しかしアンダーアーマーは、なかなか頭がいいね。元プロ野球選手なら、ジャージーを着せたときカッコいいじゃない。アパレル会社でも、銀座のアメリカンブランドとか、カッコいいのが立ってるじゃない。それと一緒で、こういうジャージーは、ケツのないガリガリの人が着ても、絵にならないんだ。齊藤君だったら、宣伝しながら商品を売ってくれるわけだからね。アンダーアーマーって、全体的に細身でしょう。齊藤君も今のラインを保っておかないといけないね。
齊藤 そうですね。体形は細くなったんですが、体重が増えてしまって……(笑)。アンダーアーマーはピチッとしたインナーからスタートしたメーカーで、もともとアメフトが原点なんですよ。アメフトのインナーに
コットンTシャツを着ていると、汗で重くなったり、プレー中もベトベト感が残ったりするのを不快に思った現CEOのケビン・ブランクさんが縫製工場をいろいろ回って、このコンプレッションウェアというものを作ったんです。重くならず、動きやすくて疲れが残らない。販売を始めてからもう22年になるんですが、今も主力商品です。
パンチ グラブやバットなんかの野球用品は、いつごろから?
齊藤 ここ10年くらいですね。野球関係は、まだ歴史も浅いです。
パンチ アンダーアーマーの人気はどんなところにあるの。
齊藤 持っていてカッコいい、という。だからお子さんは欲しがるんですが、親御さんはちょっと値段的に高いかなあ……と。ウェアは結構、子どもさんたちも着ているんですよ。
いずれは本社で仕事をしてみたい
パンチ佐藤(左)、齊藤悠葵氏
パンチ 今、アンダーアーマーの方針はどういうところにあるんだろう。
齊藤 会社の理念の一つが、『スポーツを通して社会を豊かにする』ということ。スポーツを通して社会貢献ができるよう、常に考えています。
パンチ ふだん部下にはどんなことを言っているの。
齊藤 ウソをつかないこと、きれい好き、清潔でいてくれること。その2つを守ってくれれば、ウチの店ではもちろん、どんな社会できちんとやっていけると思っています。
パンチ 今は日々、どんなスケジュールで動いていますか。
齊藤 朝は早番と遅番があるんですが、早番のときは7時に起きて、7時半に家を出ます。8時半に店に着いて、9時から1時間、清掃ですね。10時に店がオープンしたら、前日のお金のチェックや釣銭のチェックをして、あとは本社へのメールやオーダーグラブを工場に依頼するメールなどを打って、夕方からは個人レッスンです。
パンチ 子どもたちには、どんなふうに教えているの。
齊藤 年代によって違いますね。小学生には「ストライクを入れに行くな」。「腕を振って、ど真ん中に投げて、ホームランを打たれろ」と。「置きに行ってフォアボールより、ど真ん中に投げてホームランを打たれるくらいの気持ちで投げろ」と言います。
パンチ バッターで言えば、「小さなバッティングをするな」ってことだね。
齊藤 そうですね。バッターなら「とにかくボールをしっかり見て、見ないと当たらないから」と言って、しっかり見て振り切るように。「余計なことは考えず、シンプルに考えなさい」と言っています。
パンチ 中学生は?
齊藤 ちょっとレベルが高くなって、ピッチャーなら踏み出しの位置とかプレートの踏み方とか。
パンチ 中にはキラッと光る子もいるでしょう。
齊藤 いますよ。横浜の小学生で、ベイスターズジュニアに選ばれてキャプテンをした子もいます。ここができて7年になるので、そろそろ甲子園に出てきそうな教え子もいるんですよ。そういう姿を見るのも、楽しみですね。
パンチ 今後の夢は。
齊藤 いずれは本社に行って、プロ担当とか商品開発とか、そういった部門で仕事をしてみたいです。
パンチ でもそうしたら、ここで子どもたちに教えられなくなっちゃうよ。
齊藤 いえいえ、本社は土日が休みなので、ここでまたレッスンもできますし、他のグラウンドに行ってどこかのチームを見ることも可能なので、そういった形で続けていきたいですね。
パンチの取材後記
第一印象は、「カッコいいヤツだな」。そのカッコいいヤツがアンダーアーマーを着たら、ますますカッコよくなる。齊藤君のジャージー姿を見て、僕も思わず色違いを買って帰ってしまいました(笑)。実際、バッティングをしていた子どもたちも皆アンダーアーマーを着ていました。アンダーアーマー社も齊藤店長も、「やるなあ」と思いましたよ。アンダーアーマーに今、勢いがあるわけがよく理解できました。
齊藤君、「僕は高卒でプロに入ったから、(社会に出て)知らないことが多かった」としきりに言っていましたが、それを自覚し、注意されたら素直に従い、勉強していく。そんな素直さと向上心が、成功の秘訣なのでしょう。『スポーツを通しての社会貢献』という会社の理念も素敵だし、齊藤君ならきっとそれを実現できると思います。
●齊藤悠葵(さいとう・ゆうき)
1987年6月20日生まれ、福井県出身。福井商高では右腕エース・林啓介(元ロッテ)と同期で、春夏合わせて甲子園に3回出場。高校生ドラフト3巡目で06年広島に入団。ルーキーイヤーに巨人戦で初登板初先発初勝利を挙げると、背番号21に変更された08年の後半から先発ローテーションに定着。09年は9勝11敗の成績を残す。14年限りで現役引退。通算成績は66試合、19勝23敗0セーブ、防御率4.46。現在は株式会社ドームユナイテッドに勤務し、アンダーアーマーベースボールハウス川崎久地店長。
●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年
オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。
構成=前田恵 写真=山口高明