いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。 柳川が2度の連打で優勢に
8回裏、柳川の香月から同点3ランを放った智弁和歌山の山野
その歴史の幕が開けたのは大正時代にまでさかのぼる夏の高校野球。迎える第101回、夏の大会は時代の節目を飾る“令和最初の”甲子園となる。一方、西暦で節目となったのが2000年、つまり“20世紀最後”を締めくくる第82回大会だ。
その第12日、第4試合として行われた準々決勝では、この年の春、つまり“20世紀最後のセンバツ”で、強力打線で準優勝を果たした智弁和歌山と、エースに大会No.1右腕との呼び声も高い
香月良太(のち
オリックスほか)を擁する柳川が激突した。
そのセンバツでも準々決勝で智弁和歌山と対決し、0対1で惜敗した柳川にとっては雪辱を期す一戦。香月は3回戦まで36奪三振、自責点1と圧巻の投球を見せていた。智弁和歌山は新発田農との1回戦で14得点、中京大中京との2回戦では打撃戦を1点差で制す7得点、やはり打撃戦となったPL学園との3回戦では11得点と、勢いは変わらず。
柳川の剛腕が破壊力を誇る智弁和歌山の打線を封じることができるか、あるいは、センバツでは1回戦で20得点を挙げた智弁和歌山が最少の1点に抑えられた香月を打ち崩すことができるか。その激突に注目が集まった。
先制したのは強打の智弁和歌山ではなく、柳川だった。2回表、先頭打者からの3連打を含む4安打1死球、2失策で一挙3点。だが、じわじわと智弁和歌山も追撃を開始する。3回裏、4回裏ともに先頭打者が安打で出塁すると、犠打で送って適時打で還して手堅く1点ずつを返して早くも1点差に詰め寄った。ところが、続く5回表には柳川の打線が再び火を噴く。一死から4連打で3点を加え、一気に智弁和歌山を突き放した。
智弁和歌山は2本塁打で同点に
智弁和歌山の打線が本領を発揮したのは8回裏だった。センバツでの対決で唯一の得点を挙げた
武内晋一(のち
ヤクルト)が一死から香月の初球を右翼席へと叩き込むと、死球、安打の後、5回途中からマウンドに上がっている山野純平が左中堅へ3ラン。たちまち同点に追いつき、試合は延長戦へともつれ込んでいく。
そして11回裏、智弁和歌山は、二死一、二塁から後藤仁がサヨナラ打。敗れた香月も、右手親指のマメがつぶれて変化球を制球できず、ストレートを投げるにも指が掛からなくなっていたが、全177球を投げ抜いた。
この試合では打線の粘り強さも光った智弁和歌山は、準決勝、決勝でも快勝して、“20世紀最後”の全国制覇を果たしている。
2000年(平成12年)
第82回大会・準々決勝
第12日 第4試合
柳川 030 030 000 00 6
智弁和歌山 001 100 040 01X 7
(延長11回サヨナラ)
[勝]山野
[敗]香月
[本塁打]
(智弁和歌山)武内、山野
写真=BBM