昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 明大・星野仙一の逸話
今回は『1968年5月13日号』。定価は60円。
「川上君が大監督というが、まだまだ苦労が足りないと思いますね。大巨人という強力なチームにいたら、そりゃ勝てますよ。1回でいいから外に出てみれば分かると思いますよ。弱小球団の監督がいかにつらいものかということが」
これは近鉄・
三原脩監督の言葉だ。現在3年連続日本一。泣く子も黙る大監督・
川上哲治だが、当時は同じようなことをいう、小姑みたいな監督が、三原だけでなく、
阪神・藤本定義、やめたばかりだが、
水原茂と3人いた。
パでは開幕から万年最下位の近鉄が順調に滑り出し、三原忍法とも言われていた。
情報取集のため須古球団部長が天体望遠鏡のような大きな望遠鏡を球場に持ち込み、相手チームのサインを細かくチェックし、それをクセ盗みの名手と呼ばれた本堂コーチが整理し、三原監督に伝えていた。
鈴木啓示は13試合中8試合に登板し、4勝とフル回転。三原監督は「本当のエースというものは、どんどん試合に投げて育つものだ」と言うが、鈴木は、
「いつでも投げられるようにしていないといかんのでランニングも控えめ。どうも下半身がしっかりせず、会心のピッチングができない」と、あまり納得してない様子も。
巨人では長嶋茂雄が絶好調。あれこれと理由を分析する記事が多かった。当の長嶋にも直撃。
──好調の理由は。
「狂い咲きだよ、まったく。新聞記者の人たちにも、よく聞かれるけど、みんなそういって俺の狂い咲きをひやかしているんだな。まったくホームランは出過ぎだから。しいて言えば、体づくりに専念したのがよかったと思う。それが最大だ」
──若返ったとサンケイの
別所毅彦監督に言われていたけど、それも体づくりの成果?
「そうだろうね。でも、いやだね、若返ったなんて、いかにもいま俺がロートルみたいじゃない。見てくれよ、俺はまだ若いんだよ。これ以上若返ったら赤ん坊だね(笑)」
東京六大学の暴力事件の記事もあった。
4月27日、神宮の慶大─明大戦だ。5回無死満塁から慶大の打者が投手ゴロ。1-2-3で併殺かと思ったが、走者が一塁手にスパイクを向けての危険スライディング。アウトにはなったが、一塁手が怒って、走者に向かい、ミットをたたきつけた。
その後だ。明大の投手が一塁へダッシュ。審判、明大の助監督らが止めるが、それを振り切って前へ。ついには島岡吉郎明大監督まで飛び出し、抱きかかえるように止め、慶大・榊原監督も激怒した投手を説得し、ようやく投手も落ち着いた。
この投手が
星野仙一だった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM