
現役最終年の佐々木
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2005年8月7日だ。
もう、限界だった。この日に行われた横浜・
佐々木主浩の引退会見。「悔いはありません」という言葉とは裏腹に、長過ぎたファーム暮らしですっかり日焼けした佐々木の顔は心なしかこわばって見えた。日米を股にかけた希代のクローザーの目に、涙はなかった。
これ以上、結論を先延ばしにすることはできなかった。限界を悟ったのはちょうど1年前、8月8日の
ヤクルト戦(横浜)。初の3打席連続本塁打を浴び3試合連続で救援に失敗、引退を決意した。だが直後に翻意。現役続行は、ふさわしい終え方を得るためのもの、と言ってよかった。
しかし、現実は残酷だった。右ヒジの手術に復活を懸けたが、4月に3度の救援失敗。自らファーム降格を申し出ると、今度は右ヒザにメスを入れた。だが、完治をみることはなく、日米通算381セーブをマークした右腕はユニフォームを脱ぐことになった。
写真=BBM