
最後の対決を終え、歩み寄った佐々木(左)と清原
野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2005年8月9日だ。
希代の名クローザーがマウンドを去る――。この日、フルキャストスタジアム宮城の
巨人戦で横浜の
佐々木主浩が引退登板に臨んだ。舞台は生まれ故郷の仙台。相手は98年優勝時に防御率0.00と完ぺきな強さを見せた巨人、そして自身「最も燃える相手」という
清原和博がいる巨人、である。
1990年に佐々木が入団して以来、横浜(入団当時は大洋)は計13試合、仙台でゲームを行っている。しかし対巨人となると90年の1試合のみで、佐々木は登板していない。自身の進退をかけるシーズンに、15年ぶりに巡ってきた機会だ。
ペナントレース真っ最中、Aクラス争いのかかる中での、異例の引退登板を、わがままとする見方もあった。だが、同じく“運命的”と感じていたもう一人の人物が
牛島和彦監督だった。指揮官はこの8月に仙台での巨人戦が組まれていることを、佐々木の「引きの強さ」と表現した。
「彼は球団の功労者。たとえチームが優勝争いをしていたとしても、こういう形で登板させていたと思う」
2回裏無死一塁、清原に打席が回ると、大歓声を受けながら佐々木がマウンドへ向かう。
「清原君は高校時代からライバルで親友。彼の顔を見たときは涙が出そうになった」
1球目139キロ、2球目138キロ、3球目137キロ。150キロを超えた全盛期の面影はないが、一球一球に歓声が沸く。カウント1ボール2ストライク。決め球はやはり「これがあったからプロでやってこられた」というフォーク。清原のバットは大きく空を切った。
対決を終えた二人が歩み寄り、がっちりと握手を交わす。去る者は笑顔を浮かべ、送り出す者の目には涙があった。
写真=BBM