首脳陣を含めて91人――。ライオンズで支配下、育成選手72人より多いのがチームスタッフだ。グラウンドで躍動する選手たちだけではなく、陰で働く存在の力がなければペナントを勝ち抜くことはできない。プライドを持って職務を全うするチームスタッフ。獅子を支える各部門のプロフェッショナルを順次、紹介していこう。 「伸びる選手は自分を持っている」
副寮長兼育成担当に就任して今年で7年目を過ごしている上原厚治郎の眼差しは優しい。印象に残っている寮生を尋ねても、「それは全員です」と笑みをたたえる。
「みんな印象的ですよ。例えば源田(壮亮)は社会人出身だったので体のケアなども、自分からしっかりやっていました。山川(穂高)、森(友哉)もよく練習していましたよね。今井(達也)も夜間に僕に『キャッチボールいいですか』と。今井とはいろいろ話をしましたが、自分なりに研究して、練習しているのは感じましたね」
密に寮生と接する中で、野球選手として伸びるタイプを悟れるようになった。
「自分を持っていますよね。ブレない。源田はしっかり者ですし、山川もホワンとしているけど、やるときはやる。今井も違うところに行きそうになるけど、すぐに戻ってくる。森は見た感じヤンチャですけど、話してみると自分のことを本当によく知っています」
今になって思う。6年で終わった自身の現役生活で、もしかしたら足りなかったのはそれだったのかもしれない――。
わずか6年の現役生活
2005年、沖縄電力からドラフト5巡目でヤクルトに入団した上原。ヤクルト時代、真っ先に思い出すのは希代の名捕手・
古田敦也とバッテリーを組んだことだという。
「古田さんはボール判定になりそうな投球でもストライクにしてくれるんです。体全体を使ってストライクに見えるように捕ってくれますから。僕の場合も左バッターのインコースに投げて、ボールかなと思ったのが、ストライクになった記憶があるんですよ」
1年目、開幕一軍をつかみ取り、4月2日
阪神戦(大阪ドーム)の8回裏、5番手でプロ初登板を果たして1回無失点。背番号「14」と期待値も高く、幸先のいいスタートを切ったと思われた。さらに2試合の中継ぎ登板を重ねていずれも無失点だったが、5月1日に二軍へ。イースタンでは15試合に登板して、1勝8敗、防御率7.67と抑え切れずに一軍マウンドに戻ることは叶わなかった。
2年目はシーズン終盤の1試合のみの登板で防御率9.00。オフには背番号が「48」へ。3年目は二軍暮らしに終始して、背番号は再び変更に。“降格”と言える「68」で4年目を過ごすことになった。
「入団当初は真っすぐ、スライダーを軸に勝負する投手でした。でも、それでは通用しなかったので、シュートを覚えました。そこからシュートを多めに。インコースをシュートで攻めて、外へスライダーと横の変化で勝負するようになりました」
しかし、4年目も4試合の登板で防御率5.40。オフには野手転向を打診された。一度は受け入れようかと考えたが、「捕手をやってほしい」という話になり、さすがに難しいという判断で、ヤクルトを退団してトライアウト受験の道を選んだ。
「今思うと、自分のいいところを伸ばすことに気が付きませんでしたね。長所といえるか分からないですけど、僕はコントロールが良くなかった分、バラつく中でもゾーンに入れる練習をすれば……。そして球速を追い求めていけば、ちょっと違ったのかな、と。コントロールばかり意識して小さくなって、それまでの自分がなくなっていましたね」
トライアウトを経て、2009年西武入団。調子は良く、リリーフとして二軍で20試合以上に登板して防御率も2点台後半と抑えていたが、8月23日の湘南戦(ベイスターズ)で右ヒジを負傷して暗転した。翌年も思うようにスピードが上がらず、シーズン後半にはサイドスローに転向するなどもがいたが、オフに戦力外を通告された。
「2度目のクビだったので、あきらめはつきました。それに、二軍用具係の話もあったので。ヤクルトから拾ってもらって本当は選手として西武に恩を返していきたかったですけど、違う形でも、と」
二軍用具係時代の発見
ユニフォームを脱ぎ、新たな立場で日々の業務をこなす中で発見したことがあったという。
「練習の手伝いでボール拾いをしているとき、なんとなく投げ返したら、こんな投げ方があるんだ、と。スタッフが打撃投手をしているフォームを見ていて、コントロールがいい人の共通点はヒジが一定の位置に上がって、一定のリズムで腕を振っていることに気が付いていたんです。それをマネしながら、ボール拾いで投げていたら、狙ったところにボールが行く投げ方ができたんですよね」
自分を知るには、結果を残している選手と何が違って、何が足りないか理解することも重要だ。見て、学ぶ。上原はユニフォームを着ているとき、それができなかった。
「一軍で活躍できる選手は自分を知っているので、さまざまなことにチャレンジすることもできる。例えば今井もまだフォームを固定できていないと思いますけど、いろんなことを取り入れて、試合の中で挑戦しているように感じます。そういう選手が生き残っていくんだな、と」
二軍用具係時代は選手となるべく言葉をかわすことも心掛けていたという。
「技術的なことはコーチが話すので、それ以外のことを。いろいろな野球の話を結構していましたね」
副寮長として力を入れていること
真摯に野球と向き合い、若手と接する姿が目に留まったのか、2012年11月に副寮長兼育成担当に役職が変更された。
「当初は大変でしたね。用具係のときは選手を叱ることはありません。でも、今度は人間教育もしなければいけません。そのために叱ることもありますから」
集団生活にはルールがある。1人がそれを破ることによって、周りに迷惑がかかってしまう。輪を乱す寮生がいたら、それを正すのが副寮長の役目でもある。
「なかなか叱るのは難しいですね。最初は若かったので、こちらも相手も熱くなって。言い合いになることもありましたね」
ぶつかりながらも、お互い冷静になると分かり合えた。徐々に上原も真正面から指摘するのではなく、廊下ですれ違ったときや、食事のときなど何気ないタイミングで会話を重ねていくことで“教育”するほうが、うまくいくことに気が付いた。
さらに副寮長として現在、一番力を入れていることの一つが食事だという。今季から帝京大学スポーツ医科学センターに所属する管理栄養士2人が派遣され、チームを挙げて“食”の重要性を再認識しているが、上原にはもともとその考えが頭にあった。
「僕は結構食べられる人だったので、いまの寮生はなんで食べられないのだろう、という疑問から始まって。チームも食事に力を入れ始めた。じゃあ、意識していこうかな、と。やっぱり、食べる体力をつけてもらいたいです。疲れていても、ご飯をおかわりする。それは若いうちしかできませんし、それで体を作って野球につなげてもらいたいです」
今年、富士大からドラフト7位で入団した
佐藤龍世は優勝争いを繰り広げる一軍で戦力となっているが、この23歳も食欲旺盛だという。
「メットライフドームでの試合が終わって寮に帰ってきても、厨房で用意している食事にプラスして、自分で麺類などを持ってきて席に着きます。やっぱり、食べる体力がありますね。そうでないと一軍で活躍できないでしょう。疲れたからといって、食事を口にしないと体の回復も遅くなる。体重も落ちていきますし、野球をする体力もなくなってしまいますからね」
バランスよく栄養を取らせるために工夫もする。
「やはり選択肢を増やすことですかね。食べ物の好き嫌いがあるし、野菜が得意ではない寮生もいます。野菜の料理でも、少しずつ食べてもらうために、おひたしがあったり、野菜炒めがあったり、肉ジャガがあったり。どれかを食べてくれ、と」
7月には新しい若獅子寮が完成した。
「いろいろ変わって、僕もまだそこに追い付けていない部分もあります(苦笑)。でも、何もかも新しく、きれいになって、環境が良くなったことは大きなプラスでしょう」
副寮長として、今後の夢は何なのか。最後に聞いてみると、即答だった。
「寮生全員が一軍に行くこと。みんなに一軍を経験してもらいたい」
そのために陰ながら全力で寮生を教育、そしてサポートしていくだけだ。
(文中敬称略)
文=小林光男 写真=BBM