自由獲得枠がスタート

ダイエーに引き当てられた寺原は結局入団を決めた
21世紀最初のドラフトとなった平成13年、2001年のドラフトは、それまで1位、2位という呼称が1巡目、2巡目となっただけでなく、平成5年、1993年に導入された逆指名制度に代わって、自由獲得枠が設けられることになった。
これは、高校生を除く2人までと、ドラフト会議よりも前に契約を締結できる制度で、自由獲得枠で2名と契約した球団はドラフト会議では1巡目から3巡目までの指名ができず、自由獲得なしの球団は2巡目の指名ができない仕組み。これで高校生の大物と、大学生、社会人の大物を、同時に獲得することができなくなり、戦力の集中を防ぐ、というドラフトの原点に、わずかではあるが立ち返る形となった。
高校生が運命を翻弄されるのは変わらなかったが、注目を集めたのは日南学園高の
寺原隼人。週刊ベースボールは寺原に入札する球団を
日本ハム、
中日、横浜、ダイエー、
巨人の5球団と予想して、それぞれの90年代における“クジ運”もデータで分析している。
クジ運が良さそうなのが、92年に4球団が競合した星稜高の
松井秀喜を獲得し、寺原の第1希望とも言われていた巨人だ。最悪なのが、
山田久志監督が就任したばかりの中日で、逆指名制の下では、高校生1位指名から抽選という流れで5戦全敗と、圧倒的なクジ運の悪さを見せていた。結局、日本ハムは早大の
江尻慎太郎を自由獲得枠で指名して離脱、4球団が寺原に競合することになる。
【2001年・12球団ドラフト1巡目指名】
日本ハム 江尻慎太郎■
阪神 安藤優也■
ロッテ 喜多隆志 中日 寺原隼人→
前田章宏 オリックス 小川裕介■
広島 大竹寛 西武 細川亨■
横浜 寺原隼人→
秦裕二 ダイエー 寺原隼人
巨人 寺原隼人→
真田裕貴 近鉄
朝井秀樹 ヤクルト 石川雅規■
(→は外れ1巡目、■は自由獲得枠)
ダイエーと西武は2巡目からも戦力を確保
中日は6連敗と記録を更新(?)。ダイエーが寺原の交渉権を獲得した。寺原の地元でもある九州の球団だったが、直後の寺原は「光栄です」と語りながらも、ダイエーの印象については「何を言っていいのか分からないです」と困惑の表情。だが、翌日にはダイエーの
王貞治監督による訪問を受け、直々にダイエーのジャンパーを着せてもらうと、柔らかい表情を見せるように。寺原の獲得に成功したダイエーは2巡目で三菱重工長崎の
杉内俊哉を指名。ともに黄金時代の戦力となった。
一方の自由獲得枠では、2巡目も含めて7選手が入団。2巡目でも自由獲得枠で指名したのが阪神とオリックスで、1巡目で安藤優也を指名した阪神は法大の
浅井良、オリックスは東海大の
平野恵一を獲得した。なお、オリックスは15巡目まで指名を続け、全15選手を獲得。10巡目にいたのが川崎製鉄水島の
後藤光尊だった。
対照的に4巡目で指名を終えたのが西武。1巡目の細川亨はFAで去っていったが、2巡目で指名したのは大阪桐蔭高の
中村剛也で、3巡目が育英高の
栗山巧と、ともに令和元年のリーグ連覇でも主力となった2人の獲得に成功している。また、ヤクルト1巡目の石川雅規はエースに成長、令和元年もヤクルトを引っ張り続けている。
写真=BBM