昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 カラカスには帰らない
今回は『1969年7月28日号』。定価は60円。
オールスター特集号だったが、今回は巻末記事をピックアップする。
グローバル・リーグについてだ。
米国の不動産会社に社長を中心に、世界規模で展開する第2の大リーグということで華々しく誕生したものだが、最初から誤算が続いた。赤字が雪だるま式に増えていった。
とどめをさしたのが、5月のカリブ海シリーズの大失敗だ。これで大きな負債を抱え、ベネズエラに遠征(カラカス)していた複数チームへの送金がストップ。5月23日には、日本チームをはじめとする83選手に対し、ホテルからの食事がストップされ、立ち退きが要求された。
6月18日には創設者のディルベック会長がアメリカの宗教団体、パプテスト財団に300万ドルで身売り、24日には財団から日本チームに「滞在費とカラカスからアメリカへの航空券を送った」とういう電報が届いた。
本人たちも日本の関係者もまずはホッと一息というところだっただろう。
しかし、7月7日に届いた外電は衝撃的だった。
「日本チーム無一文、海岸で野宿」
以下は、込み入っているのに、それほど丁寧に説明している記事ではなかったので、齟齬や理解不能な箇所があっても、ご容赦を。
日本チーム26人は7月4日朝、カラカス郊外のマイケチアナ空港でジョージア州コロンバス行きの飛行機に乗り、滑走路まで進んだが、いきなり機内の飛行助手から
「ベースボールでカラカスにいた日本人26人は飛行機を降りなさい」
と言われ、乗降口まで戻り、全員降ろされた。
ベネズエラ政府移民局から「日本選手の出国は認めるな」と無線連絡があったという。
日本チームは、裁判所からホテルへ滞納した宿泊費を払うよう仮処分を受けていたのだが、財団から入金されたので、もう、どうしようといいだろうと思った。しかし、裁判所がまだ確認しておらず、処分が撤回されていなかったようだ。
このあたりが(あるいは、このあたりも)不可解なのだが、日本の選手たちはカラカスで毎日、日本大使館から食費をもらい、ほかにも支援を受けながら生活をしてきたのにもかかわらず、大使館に、まったく相談もなしに出発をしようとした。
「もう、こんな国、嫌だ、とっとと出ようぜ」
ということだったのか。
飛行機を降ろされた選手たちは、宿泊していたホテルから「前払いしてくれたら泊まってもいいし、食事も出す」と言われたが、
「われわれはカラカスに戻るカネもないし、もう戻りたくない。飛行機に乗れるまで、飛行場のそばでキャンプするつもりだ」
と発言。それが記事になった。よほど屈辱的な扱いを受けていたのか。
日本球界では出発メンバーを「一攫千金をめざす山師のようなもの」と冷ややかに見ていたが、さすがにこの状況には驚いたようで、巨人の
金田正一が、
「やつらの中には一緒にプレーした連中もいる。このままではかわいそうだ。12球団の一軍選手が1万円ずつ出せばなんとかなるのではないか」
と提案したり、
ロッテの選手が「グローバルを救え」と一口50円のカンパを始めたりしていた。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM