昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 永淵は史上もっともイケイケの打者?
今回は『1969年10月13日号』。定価は70円。
セでは
巨人の5連覇が見えてきたが、パは阪急、近鉄がデッドヒート。巻頭記事で特集していたが、雰囲気的には近鉄が初優勝し、巨人・
川上哲治監督、近鉄・
三原脩監督の対決が見たい、というほうに寄っているようだ。
「やっと猛牛になった」
と元監督・
千葉茂(解説者)が言うイケイケ近鉄打線の象徴が、2年目の
永淵洋三だ。小柄ながら首位打者目前の強打者。
三原監督も
「私は大下(弘)、青田(昇)とか心臓に毛のはえたような度胸のある選手を今までも使ってきましたが、永淵ほど強気の選手はいなかった。大下でも青田でも不調のときは自分を守ろうとするのか、消極的なバッティングをしたものです。しかし永淵はそういうことをしない。いつも強気で向かっていく」
昔の名選手を引き合いに出し、今の選手を称賛(逆に批判)するのは三原の常套策ではあるが、それを差し引いても大絶賛と言えるだろう。
永淵は東芝時代、西鉄の入団テストを落ちてから酒の味を覚え、大酒のみに。結果、月給2万5000円ながら、飲み屋への借金が30万円あったという豪傑だ。
1年目は投手との二刀流。この年から打者専門となった。
バルボンの「チコのニッポン日記」は軽快に進む。
もともと外角が得意だったバルボンは、投手の「打者は外角が苦手」という先入観でずいぶん助かったらしいが、内角が苦手とばれてからは、徹底した内角攻めにかなり苦労したらしい。特に
稲尾和久(西鉄)、
杉浦忠(南海)の内角球には苦しんだ。
バルボンは一度、杉浦に「どないしたら、そんなに狙ったところに投げられるようになるんや」と聞いたらしい。杉浦はこう答えたという。
「チコの顔を見たら、勝手にボールがそこにいってしまうんや。ワシのせいやないで、堪忍してや」
バルボンを通すと、みんな河内弁になる。
バルボンはまた、杉浦をはじめ、日本の投手が練習から投げすぎや、とも言っている。
「人間の肩なんてパチンコと一緒や。打ち止めがある。早く出れば、それだけ早く終わってしまう」
グラビア記事は三沢高の
太田幸司。ブラジル遠征から戻った羽田空港の大混乱や、甲子園準優勝を祝した三沢でのパレードなどを報じている。その隅にこうあった。
来週も太田を特集します、表紙も太田です。
「予告表紙」はたぶん最初で最後だ。
一方で、あれこれ太田家のプライベートをほじくり返すような記事もあった。有名になるのも大変だ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM