昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 愛犬と散歩中に襲われた荒川

表紙は左から近鉄・三原脩監督、太田幸司、あまり見えないけど佐伯勇オーナー
今回は『1970年1月26日号』。定価は70円。
「はっきり言います。江藤は来季の私の構想に入っていません」
1969年12月25日の午後、
中日・
水原茂監督がきっぱり言い切った。
実は、この日の朝、中日の球団の総務が、すでに任意引退を発表していた(あくまで球団側がだが)
江藤慎一の事務所を訪れ(副業で自動車会社をしていた)、任意引退の書類に押印を求めた。
対して江藤は、
「私は今忙しい。それに直接、水原監督から、いらんとは聞いていない。いますぐハンコは押せない」
と突っぱねた。ならばと新外国人獲得のために海外に行き、23日、夜に帰国していた水原の会見となったわけだ。
水原はシーズン中から監督、コーチ批判を公言し、我が道を行く江藤を放出し、チームの引き締めをしたいと思っていた。
本来であれば、トレードで10勝程度の投手を獲得したかったのだが、江藤が「中日を出るときは引退のとき」と強行に主張したため、任意引退とした。
ドラフトで早大の
谷沢健一、さらに今回の渡米でバビエリ(バビー)と
ミラー(
ジョン・ミラー)を獲得したことで、「江藤の穴は埋められる」と思ったのだろう。
ナインやファンから猛反発もあるのではと言われたが、江藤に対し意外と冷ややかで、1月10日には名古屋市街で江藤の復帰を要求するデモがあるも、小規模なもので終わった。
1月5日にはドラフトで大洋に1位指名されるも拒否し、野球浪人を決意した早大の
荒川堯が暴漢に襲われた。
この日の夜、愛犬を連れて散歩中にこん棒のようなもので頭と左腕を殴られた。荒川は、
「左の耳のうしろやられた。一発で頭がもうろうとし、抵抗できなかった」
と話している。この後、病院ではなく、吉田接骨師の治療を受け、後頭部打撲、左手甲打撲で全治2週間と診断された(写真では、なぜか右目のすぐ上にも治療の後がある。これからを考え、あえて公表しなかったのか)。荒川は「2人組だったが、顔は暗がりで見えなかった」と言っていた。
これまで荒川家には大洋ファンらしき男からの脅迫電話が何度かあり、警察でも荒川の大洋入り拒否をうらんだ計画的犯行ではないかとして捜査を始めた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM