近くて遠い90年代プロ野球――。いまから20年以上前、各球団ではどのようなことが起こっていたのか。プロ野球が熱かった90年代を12球団ごとに振り返る。 チーム名を変え“地域密着”へ

「選手たちが主役」と自由奔放な采配で権藤監督(右)はチームを日本一に導いた
名将・
古葉竹識の招へいも失敗に終わった大洋。代わった
須藤豊監督の熱血指導の下でも結果は芳しくなかった。そこで、1993年、思い切った改革に乗り出した球団。長年親しまれてきた愛称だけでなく企業名さえも取り除き、チーム名を「横浜ベイスターズ」と改称した。“地域密着”をいち早く打ち出したチームは、ここから徐々に、98年の栄冠への基盤を作り上げていく。その中心はやはり、須藤監督の下でクローザーに転身した大魔神・
佐々木主浩だった。
ベイスターズ初代監督となった
近藤昭仁は、
ロバート・ローズを二塁に据え、野手転向2年目の
石井琢朗を三塁に起用し、
進藤達哉と三遊間を組ませた。94年には80年代を支えた主力選手を放出し、FAの
駒田徳広を獲得。ブラッグス、ローズとともに打線の軸に据えた。先発陣がなかなか整わず在任3年でAクラスはなかったが、地ならしは確実に進んだ。
続くは
大矢明彦監督。96年は、佐々木とのダブルストッパーを務めていた
盛田幸妃を先発へ回し、進藤を二塁、ローズを三塁、石井琢を遊撃へと内野コンバートを断行。結果は思わしくなかったが、石井琢はここから球界を代表するショートへと成長していく。
政権2年目の97年は大躍進の年。
福盛和男、
戸叶尚ら若手投手たちが急成長し、
三浦大輔、
川村丈夫、
斎藤隆、
野村弘樹と2ケタ勝利投手が続出。大魔神・佐々木は8月に月間最多セーブ・SPの新記録(14)を作るなど38セーブを挙げて完全に球界最高のクローザーとなり、そんな投手陣を、正捕手として見事に独り立ちした
谷繁元信がうまくリードした。
打線も石井琢、
波留敏夫の一、二番コンビが以心伝心のコンビネーションでチャンスを作り、
鈴木尚典、ローズ、駒田の主軸がかえすパターンが確立。
石井一久にノーヒットノーランを食らうなど
ヤクルトには及ばず、大矢監督は解任されてしまったが、選手たちはこの経験をしっかり次の年に生かした。
マシンガンに大魔神

横浜・波留敏夫(左)石井琢朗
98年、新指揮官・
権藤博は「俺を監督と呼ぶな」の一言に始まり、キャンプ中の全体ミーティング廃止など独自色を打ち出していく。
五十嵐英樹、
島田直也、
阿波野秀幸ら中継ぎのローテ制も確立し、前年からの好調を維持する先発から中継ぎへ、そして大魔神につなぐ形を築き上げた。佐々木はこの年、驚異の防御率0.64で45セーブのプロ野球新記録(当時)。背番号「22」は味方に勇気を与え、相手の戦意を喪失させた。
“マシンガン”と称された打線は、犠打をほとんど用いない奔放野球。一、二番が機動力でかき回し、クリーンアップは計264打点。六番は相手投手の左右で
佐伯貴弘と
中根仁が入り仕事を果たした。
そんな打線の真骨頂は7月中旬。12日の
中日戦(帯広)で9回に6点差を追いつき引き分けに持ち込むと、14日の
巨人戦(横浜)では自身のエラーで追いつかれた石井琢が名誉挽回のサヨナラ打。そして翌日の同カード。0対7から大逆転を演じ、8回を終えて12対12。最後は波留の一打でケリをつける“世紀の大乱戦”。執念が生んだ奇跡の連続に「もののけに憑かれたようだ」と権藤監督は言った。勢いに乗ったチームは10月8日、甲子園で38年ぶりのリーグ優勝を遂げ、さらには
西武を破って日本一に輝いた。
しかし翌年、打線は変わらず活発だったものの、佐々木の故障離脱を機に投手陣が崩壊し連覇を逃した。そのオフ、大魔神は退団しメジャーへ。球団は湘南シーレックス立ち上げなどファーム組織の強化を図るのだが、チームは再び低迷期に入っていく。
1990年代ベイスターズBEST9

横浜・佐々木主浩
■1990年代ベイスターズBEST9
投手 佐々木主浩 90~99年在籍
405試合、42勝33敗229セーブ、防御率2.31
捕手 谷繁元信 90~99年在籍
1078試合、746安打、打率.249、71本塁打、338打点
一塁手 駒田徳広 94~99年在籍
790試合、900安打、打率.292、59本塁打、435打点
二塁手 ローズ 93~99年在籍
904試合、1107安打、打率.323、146本塁打、711打点
三塁手 進藤達哉 90~99年在籍
921試合、689安打、打率.242、81本塁打、307打点
遊撃手 石井琢朗 90~99年在籍
983試合、1057安打、打率.290、39本塁打、319打点
外野手 鈴木尚典 91~99年在籍
679試合、738安打、打率.317、84本塁打、391打点
外野手 波留敏夫 94~99年在籍
630試合、689安打、打率.290、35本塁打、210打点
外野手 ブラッグス 93~96年在籍
404試合、443安打、打率.300、91本塁打、260打点
写真=BBM