
野球殿堂入りした田淵幸一氏は1965年から68年まで在籍した法大で東京六大学通算22本塁打。97年に慶大・高橋由伸(元巨人)に更新されるまで、リーグ記録保持者だった(左から富田勝氏、山本浩二氏、田淵氏)
同じベンチに5人の野球殿堂入り――。
確かにあまり、聞いたことがない。
1月14日、田淵幸一氏が競技者表彰のエキスパート表彰で野球殿堂入りした。NPB歴代11位の474本塁打。
阪神に在籍し、初のホームランキングに輝いた1975年は、巨人・
王貞治の14年連続でのタイトル奪取を阻止。移籍した
西武では2度のリーグ優勝、日本一とプロ野球において球史に残る活躍を見せた。
田淵氏のゲストスピーチ役を務めた山中正竹氏(法大野球部OB会長、16年に特別表彰で野球殿堂入り)は「法政の田淵も(殿堂表彰の)大きな要因であり、強調しなければならない」と熱弁をふるった。
田淵氏の1学年下の山中氏は東京六大学で歴代1位の48勝をマークし3年間、バッテリーを組んだ。合宿所の部屋も3年間一緒であり、公私ともに名コンビだったという。田淵氏は当時、同リーグトップの22本塁打。記録とともに、抜群のスター性があったと山中氏は力説する。
「田淵さんのホームランは滞空時間が長く、美しい、華のあるアーチでした。魅了されたファン、多くの女性ファンも神宮で固唾をのんで田淵さんの打席を見守った。お客を呼び寄せる、集客力があったのです。スターの出現は、長嶋さん(茂雄、立大)以来だったと思います。のちに江川(卓、法大)、斎藤(佑樹、早大)と甲子園のヒーローが神宮にもファンを引き連れたケースはありますが、田淵さんは少し趣が違う。高校時代(法政一高)は傑出した選手ではなかった。それが、1年時にすい星のごとく4本塁打を放って、一気に注目が集まった。(8本塁打の)長嶋さんの数字を更新するのでは? と大きな期待が集まったわけです」
田淵氏、山本浩二氏(元
広島)、富田勝氏(元南海ほか)による「法大三羽ガラス」。特に田淵氏の人気はすさまじかったという。このスター選手の近くで、ボディガードのように守っていたのが富田氏だったという。富田氏は2015年に他界。田淵氏はことあるごとに墓前で手を合わせ、また現在、体調を崩している山本氏のことも気遣っている。
山本氏は08年に殿堂入り。当時の部長である藤田信男氏は1987年、監督の松永怜一氏も07年に殿堂入り。つまり、エースの山中氏を含め、同じ時代に神宮で戦った5人が栄誉に輝いたことになる。山中氏は言う。「一緒に野球をやってきて、法政の黄金時代のメンバーだと胸を張って言える。その喜びを感じています」。
華やかに見える田淵氏の大学4年間だが、後輩の山中氏は「順風満帆ではなかった」と振り返る。就寝時間後も夜遅くまでバットを振り、野球日誌を書く姿を、ルームメートとして間近で見てきた。田淵氏は野球選手としてのルーツは、松永氏から教わった法政一高、法大での学生生活と語っている。努力の人。法政の田淵、そこにアーチストとしての原点があったのだ。
文=岡本朋祐 写真=BBM