一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 大洋・松原誠にほのぼのと
今回は『1970年11月2日特大号』。定価は90円。
表紙から分かるようにパはロッテがすでに優勝決定したが、セは巨人、阪神でまだ分からないという展開だ。
前年のドラフト1位・
荒川堯の入団を発表した大洋だが、最初から、その後の三角トレードへの道が透けていた。
ヤクルト側からは内幕暴露的な言葉が出て、大洋の「練習には参加させない」という表明もあった。
あまりの露骨さにセの鈴木龍二会長が激怒。
「統一契約書に基づいて正式契約をしたのだから、荒川選手は大洋球団のために稼働しなくてはならない。それは荒川が大洋にユニフォームを着て、練習し、試合に出ることだ。球団はできる限り早く速やかにチームに合流させ、試合または練習に参加させるように」
と通告。カミソリ龍二の怒りに大洋側は大慌て。水面下で進んでいたヤクルトとの交渉もひとまず棚上げとなった。
大洋の選手からしたら、自分たちを踏み台にする荒川が気に入るはずもない。
「ヤクルトに行ってみろ。シュートがすっぽ抜けるぞ」
とすごんでいた投手もいたが、のんきだったのが、ショートの
松原誠。
「俺と桑田(武)さんの三遊間は“くわばら、くわばら”と言われたものだが、荒川となら“あら、マー”になるのかな」
10月14日の阪急戦(大阪)で、プロ16年目の
広瀬叔功がプロ初登板。2イニングをピシャリを抑えた。
「防御率ゼロやから、これで来年から投手転向や」
と上機嫌だった。もともと投手の入団だったが、すぐ内野手(その後、外野手)に転向していた。
生涯1試合だけ投手があったのは知っていたが、この年だったか。
1対7とリードされたことで
野村克也兼任監督が、
「次の投手もできてないし、お客さんもこのままじゃ面白くないだろうと思って、阪急には悪いけど」
と決断。案の定、阪急はカッカしたが、逆に力んで打てなかったようだ。試合後、阪急・
西本幸雄監督に謝罪したが、実はノムさん、
「俺だったら野手が投手でも抑えられるんや」
と内心ニヤニヤしていたのかもしれない。
ファンたちにも大好評で、
「野村ちゅう男、意外におもしろいヤツやな。鶴さん(
鶴岡一人)も大監督やったが、こんな味なことをするのなら、ひょいとすると、鶴岡さん以上の大監督になるかもしれんで」
と話していたらしい。
広島の
山内一弘が引退。打撃理論には定評があっただけにコーチとして広島だけでなく、阪急、ヤクルト、巨人の大争奪戦になっていた。
最有力は
荒川博コーチの退団が濃厚な巨人だ。
このとき山内から断られた阪急・西本監督が声をかけたのが、
根本陸夫監督と合わず、広島を退団し、解説者をしていた
上田利治となる。
何となく、大河ドラマのようになってきた。キャストが豊富になってきたのは、巨人一強時代の崩壊が近づいているからだろう。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM