3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ともに夏の甲子園は逃す

作新学院高・江川[翌年の甲子園]
今回は『1972年8月14日号』。定価は100円。
高校野球の地方大会の季節。プロ野球のスカウトは、「今年は関東に集まれ」が合言葉になっていたという。
ターゲットはセンバツ優勝の日大桜丘高の3年生、ジャンボ仲根こと
仲根正広だけではない。
それ以上の注目を集めたのが、作新学院高の
江川卓と、成東高の
鈴木孝政だった。
特に江川だ。まだ2年生ながら快速球を武器に栃木大会で大田原高相手にノーヒットノーラン、続く石橋高戦で完全試合。
石橋高戦では、「作新は、まるでバッテリーだけで野球をしているようだ」と言われた。
さらに続く栃木工高戦では「球があまり走らなかったので、大きく曲がるカーブと鋭く曲がるカーブを主体にした」と言いながら3試合連続のノーヒッターとなった。
準決勝の小山高戦では延長11回、スクイズで1対0のサヨナラ負けも10回二死までノーヒットだった。
江川は前年秋の関東大会でも初回から10連続三振を奪いながら打席で頭部死球を受け交代。チームも敗退するという不運があった。
本人は「神宮で投げてみたい」と大学進学を希望するが、プロのスカウトもだまってはいまい。
なお、これが江川の「週べ」初登場かもしれないが、写真はまだない。
鈴木孝政がエースの成東高も甲子園には届かなかったが、鈴木の売りは低めに伸びる速球。ジャンボ仲根以上の逸材とも言われていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM