読売ジャイアンツ
2008年から4シーズン在籍し(09年にFA資格を取得し、以降は日本人扱い)、2度の優勝(MVPも2度)、日本一に貢献した
アレックス・ラミレス(現
DeNA監督)も外しがたい。しかし、ここでは7シーズン在籍で5度の打率3割超えを記録したウォーレン・クロマティを推したい。84年にエクスポズから移籍加入したが、前年はメジャーで120試合出場し、100安打を放っているバリバリのメジャー・リーガー。すぐに日本の野球にも順応し、1年目に35本塁打で違いを見せつけた(3年連続30本塁打以上)。中でも4割を打って引退すると迎えた89年はシーズンの規定打席到達時点では4割超も、最終的には.378に。それでもこれは球団歴代最高打率で、いまなお破られていない。「バンザイ」のパフォーマンスでファンからも愛された助っ人で、現在は球団アドバイザーを務めている。
横浜DeNAベイスターズ

横浜・ローズ
NPB在籍8シーズンで1275安打、167本塁打、808打点、打率.325。
ロバート・ローズが球団史上、最も活躍した助っ人と言えるだろう。1993年に来日した当初は、それほど評価は高くなかったが、いきなり打点王に。無理に引っ張らず、右方向へ流す巧みさを備えていた。以後は打線の中心となり、97年は最高出塁率、99年は首位打者と打点王、最多安打、2000年も最多安打と、毎年のように打撃タイトルを獲得した。98年はマシンガン打線の四番に座り、38年ぶりリーグV&日本一の原動力となった。
阪神タイガース
阪神の最強助っ人といえば、ほとんどのファンが「
ランディ・バース」と答えるだろう。実際に1985年、三番打者として54本塁打、135打点、打率.350で三冠王に輝き「バース、掛布、岡田」の重量クリーンアップを形成し、球団初の日本一に大きく貢献した。さらに翌86年にもプロ野球最高打率の.389を記録するなど2年連続三冠王を獲得している。そのバースの入団は83年。オープン戦で死球を受け、左手首を骨折して4月中旬にようやく一軍へ。84年は27本塁打、打率.326を挙げながらも解雇される可能性もあったが、その人格と練習態度などが評価され残留と決して順風満帆ではなかった。しかし残留した結果、85年の大活躍につながり35年経過した今でもバースの活躍はファンの心の中に刻まれている
広島東洋カープ
広島では、1977年から82年まで6年間在籍、うち打率3割以上2度とシュアな打撃で79、80年の連続日本一にも大きく貢献したジム・ライトルが実績No.1だろう。基本的には鋭いスイングからライナー性の打球を放つアベレージヒッタータイプだが、シーズン30発以上の本塁打も2度。ライトの守備でも強肩ぶりを見せ、78〜81年には4年連続ダイヤモンドグラブ賞に輝いている。80年には日本シリーズMVPも獲得。広島ではこのほか、投手なら通算57勝をマークしている現役のK.ジョンソンが実績No.1。実績にファンからの愛され度を加えれば、2012〜18年に在籍した
ブラッド・エルドレッドが史上最強の外国人選手といえるかもしれない。
中日ドラゴンズ
台湾での名前の読み方は「クォ・ユェンツ」だが、日本球界では「かく・げんじ」として、中日のみならず多くのプロ野球ファンの心に残る右腕だ。日本では1981年に入団すると、96年までの16年間にわたり中日でプレーした。83年から4年連続2ケタ勝利を挙げるなど先発として活躍すると、87年に転機が訪れる。抑えの
牛島和彦がトレードで
ロッテに移籍すると、新監督の
星野仙一が郭を新ストッパーに指名。同年に26セーブ、88年には37セーブをマークし、2年連続で最優秀救援投手に。88年はリーグ優勝の胴上げ投手となり、日本一は逃すもセ・リーグの最優秀選手に選出された。94年には最優秀防御率のタイトルを獲得。気迫あふれる投球で高い人気を誇った。
東京ヤクルトスワローズ
1987年、規定打席未満ながら31本塁打などの成績を残した
ボブ・ホーナー、99〜2002年まで四番としてチームを支えた
ロベルト・ペタジーニなど、ヤクルトは多くの外国人スラッガーに恵まれてきた。だが最強と言えば、
王貞治らの持つシーズン55本塁打を抜く60本塁打を記録したウラディミール・バレンティンだろう。2011年から9年間で、通算288本塁打。2015年は故障の影響で15試合の出場にとどまったが、それ以外は毎年30本塁打以上を記録した。そんな頼りになる大砲だが、今季から
ソフトバンクに移籍。バレンティンの抜けた穴は、チームの大きな課題となっている。
写真=BBM