
2010年春。センバツ甲子園で開星高・糸原健斗(現阪神)は向陽高との1回戦で敗退した
新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、センバツ高校野球は史上初の「中止」。春の公式戦も各地区で中止が相次いでおり、夏の都道府県大会の開催も不透明の状況である。
一人ひとりが不要不急の外出を控えた上で、緊急事態宣言の解除、一日も早い収束、そして球音が戻る日を待っている状況だ。
十年一昔と言われるが、2010年春のセンバツで球春を彩った、高校球児を回顧する。
2年連続2回目の出場の開星高(島根)における不動の一番、斬り込み隊長を務めたのは糸原健斗(現阪神)だった。
2回戦に進出した前年春は、2試合で7打数4安打。2年秋の中国大会では4本塁打を放ち、初優勝に貢献した。2年生エース・
白根尚貴(元
DeNAほか)を擁した翌10年春のセンバツでは、上位進出が期待された。
21世紀枠で36年ぶりの復活出場を遂げた古豪・向陽高(和歌山)との1回戦。開星高は相手エース・藤田達也の緩急自在の投球に苦しめられ、1対2で初戦敗退を喫した。
「一番・三塁」の糸原は8回の第4打席で意地の右前打を放つも、力を出し切れなかった。試合後、あまりのショックに、敗者チームの控え室は静まり返っていた。開幕前に「大会屈指の好打者」として騒がれただけに取材時、糸原には多くの報道陣が取り囲んだ。
さすがに、口は重かった。「負けたことは仕方ない。切り替えて頑張っていきたい」と、言葉を振り絞るのがやっと。糸原の“囲み”から離れると、お立ち台付近では、大変な騒ぎになっていた。開星高・野々村直通監督が不適切発言。このコメントの責任を取る形で、その後、指揮官は退任した。
夏へ向けて厳しい状況だったが、チームが崩壊することはなかった。同夏、5試合を勝ち上がり、島根代表として糸原は甲子園に戻ってきた。仙台育英高(宮城)との1回戦。開星高が5対3とリードして9回表の守りを迎えたものの、二死から逆転を喫した。その裏、二死一、二塁で打席には糸原。金属バットから快音を響かせた打球は左中間へ。抜ければサヨナラという鋭い当たりも、相手の左翼手に好捕され、試合終了(5対6)となった。
最後の打者となった糸原は、高校最後の試合で5打数無安打。全国舞台で得た教訓を胸に明大、JX-ENENOSSを経て17年ドラフト5位で阪神に入団した。18、19年は全試合出場。3年目から主将を任される猛虎のチームリーダーは、かつて研鑽を積んだ甲子園で4年目のシーズン開幕を静かに待っている。
文=岡本朋祐 写真=BBM