現在は少なくなったが、かつてのプロ野球界は死球や判定をめぐっての退場劇が少なくなかった。血の気の荒い行動は決して褒められたものではないが、勝利への執念を感じた破天荒な振る舞いにファンも盛り上がった。以下はNPBで退場回数が多かった選手、監督だが、記憶に残っている退場劇も多いのではないだろうか。
・タフィー・ローズ(近鉄→巨人→
オリックス)
退場回数14回
退場回数14回はNPB史上最多。内訳は近鉄6回、巨人3回、オリックス5回。14回のうち11回はストライクへの判定に対して抗議したものだった。外国人選手は日米のストライクゾーンの違いに戸惑い、審判の判定に不満を隠さず退場するケースが見られる。審判との相性もあるが、ローズはストライクの判定に抗議して退場した11回はすべて違う審判員だった。NPB通算13年間で歴代外国人最多の464本塁打を放ち、本塁打王4回、打点王3回を獲得した強打者は退場回数も規格外だった。
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マーティ・ブラウン(広島、広島監督→
楽天監督)
退場回数12回
退場回数12回は監督でトップ。計5年間の監督生活で広島8回、楽天4回と1シーズンに2回以上のペースで退場していた。ブラウン監督の退場で印象的なのが「ベース投げ」だ。始めて退場宣告を受けた2006年5月7日の
中日戦で審判の判定に不満を爆発させ、広島市民球場の一塁ベースを引っこ抜き、内野に放り投げた。その後も足でホームベースに土をかぶせて帽子を叩きつけたり、ホームベースの近くに自身の靴と帽子を置くパフォーマンスで退場したことも。12度目の退場となった楽天監督時代の10年9月23日の
西武戦は退場宣告を受けた後に、二塁ベースを投げようとしたが固定されていたため引き抜くことができず、そのまま立ち去った。
・金田正一(国鉄→巨人→ロッテ監督)
退場回数8回
NPB史上最多の400勝の金字塔を打ち立てた左腕は国鉄、巨人の現役時代に2回、ロッテの監督時代に6回、退場処分を受けている。監督自ら乱闘の先陣を切ることが珍しくなく、1991年5月19日の近鉄戦では内角攻めに激高した
ジム・トレーバーの顔面にスパイクで蹴りを入れた(この試合は退場にならず)。90年6月23日の西武戦では判定に憤慨して審判に足蹴りし、パ・リーグから罰金100万円と出場停止30日という重い処分を課された。出場停止期間に本拠地・川崎球場のスコアボードの裏からベンチにサインを送り、窒息しそうになったという逸話が残っている。
・落合博満(ロッテ、中日、巨人、
日本ハム、中日監督)
退場回数8回
試合中は喜怒哀楽を表さず、冷静沈着なイメージが強いため、歴代3位の8回の退場処分を受けていることに驚いた読者も多いのではないか。ロッテ、巨人での現役時代に2回、中日で8年間の監督時代に6回退場している。落合監督「らしい」のが、6度退場のうち5度が規定の抗議時間5分を超える遅延行為によるものだった。退場は審判への暴言や暴力行為をふるって宣告されるケースは多いが、落合監督は違う。納得のいかない判定に強い口調で抗議することはあったが感情を爆発させることはない。退場を宣告された後、冷静な表情のままグラウンドを去ることも少なくなかった。
・星野仙一(中日、中日監督、
阪神監督、楽天監督)
退場回数6回
「燃える男」「闘将」の異名を取り、中日で4回、阪神で1回、楽天で1回退場処分を受けている。審判への暴力行為で退場して批判されたこともあったが、選手の士気を高めるため、ファンを盛り上げるために抗議することも珍しくなかった。1990年5月24日の巨人戦では危険投球に抗議し、巨人ベンチからヤジが飛んで激高。制止する巨人・
水野雄仁の帽子を吹き飛ばした。この時は退場していないが、テレビの『珍プレー・好プレー特集』で何度も放送された。
写真=BBM