一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 江夏以上にしんどかった小谷

打球を受け、降板となった水谷。右から3人目の背番号27の選手
今回は『1971年8月9日号』。定価は90円。
前回と同じ号から後日談的ネタを拾う。
まずは、西宮球場(初出修正)のオールスター第1戦、
阪神・
江夏豊の9連続奪三振の後だ。
これが前年の球宴の5連続を合わせ、14連続奪三振であったことは以前書いた。
江夏の次なる登板は第3戦。
まず
ロッテの
江藤慎一を三振で15連続、そして続くバッターが南海の兼任監督、
野村克也だった。
「そんなに続けて三振取られたらかっこつかんからな」
と、もともと握り半分ほど短く持っていたバットをさらに短く持った。かつての三冠王のなりふり構わぬ姿に、マウンドの江夏は「この人からは三振取れんな」と思ったという。
結果はセカンドゴロ。記録は確かに途切れた。
実は前年の球宴、江夏は5連続奪三振をマークしながら、あるパの打者にぼろくそに言われたという。
「江夏のピッチングあれなんじゃい。変化球ばかり投げよって。その点、平松(政次。大洋)は抜群じゃ。正面から堂々投げてきた。連続三振取ったというても、内容は平松のほうが上じゃ」
誰とは書いてないが、たぶん、あの人だろう。
なお、この試合はセがノーヒット、16奪三振のリレーをしたことで知られるが、江夏以上に評価が高かったのは四番手の大洋・
小谷正勝だ。
三番手の
中日・
水谷寿伸が打者の打球を受け、降板。4、5球投げただけで急きょの登板となった。
「思い出してもぞっとするほどしんどかった。ほんまに江夏を恨んだよ。最初に投げるもんは気が楽だが、こっちは初めから意識させられて、至上命令みたいなもんだから。野球生活で最高の疲れかもしれんね」
と小谷。しっかりノーヒットで最後まで投げ切った。
ロッテの放棄試合についても後日談。
当時、審判を恫喝するような抗議が頻繁にあったが、審判側にも問題はあり、放棄試合のように
ジャッジが二転三転することもよくあった。
7月13日の放棄試合の翌14日、
巨人─阪神ダブルヘッダー第2試合でこんなことが連続してあった。
まずは2回裏、巨人・上田のライト線の打球を一塁塁審がフェア、ライト線審がファウルとジャッジした。すぐ
川上哲治監督が「フェア」と主張し抗議したが、このときは審判の協議で「ファウル」となった。
そして4回には、2ストライクから打席に立った阪神の
田淵幸一の右手に投球が当たり「死球」の判定も川上監督の抗議で「コースがストライクだから三振」となった。
当然、阪神・
村山実監督が22分の猛抗議をしたが、結局、提訴を条件に引き下がった。このようなことが続けば、やはり審判不信になってくるだろう。
球宴後再開のペナントレースではセが巨人のあまりの独走でしらけ気味。観客動員が激減し、鈴木龍二セ会長は、
「危機に直面していることを感じないわけにはいかない」
と語った。
では、また月曜に。
<次回に続く>