一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 奇想天外の一番・投手、外山

二刀流で沸かせたヤクルト・外山。毎度だが客がいない
今回は『1971年10月25日号』。定価は90円。
今回も、記録の神様・千葉功さん(まだ署名はないが)の好評連載「記録の手帖」559回から、1971年の記録にまつわる十大事件を紹介する(前回は1から5、今回は6以降)。
その6は、7月4日、近鉄-阪急(日生/ダブル第1試合)での6者連続四死球だ。
10回表、近鉄・
芝池博明が阪急先頭の
福本豊を歩かせ、
阪本敏三が犠打。ここで投手が左腕・
神部年男にスイッチした。
ここで
加藤秀司の代打・
住友平の際、福本が三盗。やむなく満塁策で2人を歩かせたのが、つまずき(珍記録)のもとだった。
続く
岡田幸喜、
森本潔にストレートの四球。神部は4人の打者に対し、住友にファウル1球打たれた以外はすべてボールで、17球で交代となった。
さらに救援の
岡田光雄が今季初登板したか、
石井晶に四球、
正垣泰祐に死球でイニング6連続四死球の日本新記録となった。
その7は、7月3、4日、東映-
ロッテ戦(後楽園)での
醍醐猛夫の4打席連続本塁打。
これは史上4人目の快挙だったが、この年、醍醐のホームランは10本。まさにミラクルだった。
その8は、セ・リーグのペナントレース、8月6日の新聞に「あ、2位はいない?」の見出しが躍った。
8月5日のセ・リーグ、首位の
巨人と2位ヤクルトのゲーム差は9.5ゲーム。ただ、ヤクルトと最下位大洋の差は2.5で勝率5割以上は巨人だけだった。
その極地は7日から11日、2位から6位までは1.5ゲーム差にひしめきあった。当然順位も激しく入れ替わり、2位のヤクルトは7日に4位、8日に3位、9日に4位で10日には最下位に落ちていた。
巨人のみ5割は9月1日まで2日をのぞき続いたという。結果的には、巨人は8月、10勝13敗と負け越しながら、7月末の2位とのゲーム差10は、8月末も変わらなかった。
その9は、8月22日のヤクルト-大洋戦(神宮)で実現した「一番・投手」。
プロ野球史上初、ヤクルトの二刀流・
外山義明投手がスタメン一番に入った。
三原脩監督の奇策の理由は、外山がこの日の大洋先発・
平松政次から8打数6安打と打ちまくっていたことだったが、2回半ばまでに5失点、打者としても1打席一ゴロで交代となった。
その10は、9月5日の巨人-ヤクルト戦(神宮)で五番に落ちた巨人・
王貞治。
59年入団の王だが、63年以降では五番を打ったのは、66年8試合、68年、69年1試合ずつだった。王はその前の20試合に.197の大不振で五番“降格”となった。
後半52試合で打率.299、11本塁打。一本足になって以降、最長のスランプだった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM